箱根駅伝5区ランナーだった五郎谷選手が富士登山競走を目指した理由  〜コモディイイダ会沢監督談〜 その2

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一年目の挫折と決意


順風満帆にスタートをきったように思えますが、チームとしての一番の目標であった11月3日の東日本実業団駅伝では、ニューイヤー駅伝出場に遠く及ばない結果となりました。この結果、実業団チームとしては当たり前ですが会社から厳しい話も受けました。選手たちには仕事と競技を両立しながら、自己実現をしてほしい、それが可能な部でありたいと思って活動してきました。好きなこと(種目)をするには、会社が求めるニューイヤー駅伝出場が必須であることを選手たちと再確認しました。マラソンをやりたい、3000障害をやりたい、1500をやりたいなど様々ありますが、ニューイヤー駅伝にでれば、その後の道が開けると何度も話し、五郎谷選手も2年目を迎えました。

ニューイヤー駅伝出場のための山頂の部挑戦


今回の山頂の部への挑戦は、ただ単に五郎谷選手の夢を達成するためだけのものではありませんでした。今年に入り、チームとしてもニューイヤー駅伝出場に向かい取り組んできましたが、現状の力では届かない。駅伝は流れとよく言われますが、流れにのるという相手任せではなく流れをつくる選手を育成できなけばならないと考えていました。その選手として五郎谷選手の富士登山競走で優勝し、日本代表になるというのは、チームに勢いをつける意味でも必達項目でした。これから先、様々なプレッシャーの中でも力を発揮するためには、あえてプレッシャーをかける。これも一つの指導方法と腹をくくり、ミーティングでも五郎谷選手には自分のためでなく、優勝してチームに勢いを!と繰り返しました。特殊種目だけが強いと思われないため、練習もチーム内で先頭きって積むように指示し、他のメンバーが20000ペース走なら、そのあとに1000のインターバルをいれるなど、粘り強さをつけるトレーニングを繰り返しました。

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大会記録保持者 宮原徹選手との試走


そんな中、富士登山競走大会記録保持者の宮原徹さん(滝ケ原自衛隊)と連絡をとり、私では指導できない山の走りを教えて頂きました。その試走で、高地の適応力があることを確認することができ、五郎谷も自信を付けました。宮原徹選手は五郎谷選手との試走後にこう話していました。

『2時間35分切は充分に狙える。へばっても2時間40分は間違いなく切れるでしょう。何れにせよ、日本人選手で五郎谷君を超える登坂力のあるランナーはいないと思います。』

そしてレース後にはこう話しました。

『五郎谷くんは走る能力は抜群なので7合目〜8合目の岩場区間を克服すれば僕の記録も更新できると思います。』

宮原徹選手(滝ケ原自衛隊)の富士登山競走の凄さについてはこちらをご参照ください。

富士登山競走に向けた最終トレーニングとレース前日の心強い援軍

7月からホクレンディスタンスで5000m  10000mを走り、いよいよ富士登山競走への最終トレーニングに入りました。
といっても、7月中旬からのチーム合宿を利用し、大会6日前までひたすらに追い込み3日で170キロ走りこみました。2日目には、富士山駅から山頂に登り、そして五号目まで下り、バスなど乗り継ぎ宿舎に戻り、着替えてから、山中湖一周ジョグ。翌日は坂ダッシュしてから、東京農業大学の30キロ走に合流させていただくなど、疲労困憊になるまで追い込みました。五郎谷は、この疲労は正直不安ですと口にしましたが、彼なら5日間で充分疲労がとれるという確信がありました。また、本当に体が動かなくなってからが勝負となるのが富士登山競走だと私なりに感じていましたので実施しました。結果、なんとか疲労を抜こうと積極的に休養、治療に専念し、当日をむかえました。一番大切なのは、自身でなんとか疲労を抜こうとする気持ちと行動が自己治癒能力を高めるということです。大会にむけて、五郎谷は前日入りしましたが私は仕事のため、大会当日、早朝に現地入りしました。

五郎谷の表情をみたとき、これは優勝は絶対できると思いました。なぜなら、あった瞬間、『会沢さん、体調完璧です!』と言ってきたからです。彼が調子がいいといって、崩れたことが今までありません。

自分の体がしっかり分かっているのも、強さだと思います。

そして、レース前日に五郎谷選手に最高の援軍が訪れました。

五郎谷選手が、高校時代、そして社会人になってからも石川県に帰ったときには、お世話になっている治療院の平木先生が、五郎谷選手の直前合宿の走りの動画をみて、バランスが気になったということで、石川県から急遽、車で五郎谷選手の前泊する旅館を訪れて治療してくれたのです。

そして今回の目標は2時間40分を切って優勝。あわよくば2時間35分切りたい!と話をしましたが、記録を狙うのは来年で、今年は優勝して日本代表になることだけ考えて走ろうと伝え、スタート地点にならびました。

そして歴代2位の記録で優勝したのです。

五郎谷俊選手(コモディイイダ) 富士登山競走 2時間31分34秒で初優勝 その1〜歴代2位走り〜

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最後に〜会沢監督から五郎谷選手へ〜

箱根から世界へ!これはオリンピックに対しての言葉だと思います。ですが、今の世の中、ライフワークバランスが推奨され、それは仕事の責任を果たすとともに、人生の各段階で多様な生き方が選択実現できることが定義されています。

箱根駅伝には山登りや山下りなどの特殊区間があります。以前は走力があれば山は登れるというのが一般的でしたが、五郎谷選手のように登りの耐久力に富んだ選手もいます。

以前にくらべ、スカイランニングやウルトラマラソンなどが、かなりメジャーになってきた今、箱根から世界へ!は、こうした競技生活のあり方にもつながるのではないかと思います。

五郎谷選手は、スカイランニングで世界で勝ちたいという大きな目標のあとには、100キロマラソンへも挑戦したいと話しています。

さらに、チームとしてニューイヤー駅伝出場も!

欲張りにみえるかもしれませんが、気持ちがあれば、成せると思います。

富士登山競走については、私は無知なところからのスタートでしたが、100キロマラソンは学生時代に出場した経験もあります。

これについては、世界大会への取り組みも実体験から指導できます。

100キロマラソンに出場をきめて練習を開始した大学四年時に、わたしは、トラック種目も全て自己記録を更新しました。

何かをなそうとするとき、物事はうまくまわると私は思っています。目の前の困難はたくさんあるかもしれませんが、少し離れた未来には必ずうまく回ると思います。それは本気で目標をたてた時、かならず知恵がうまれるからです。そして、本気で何かをなそうとした時、気づけば周りが支え、応援してくれているものです。

 

会沢監督が話しているように、今回は宮原徹選手がコース対策のアドバイスをしてくれたり、サロモンシューズなどのアイテムの提供を受けることになったり、高校時代からお世話になっている治療院の先生が訪れてバランスを整えていただいたり、周りが支え、応援してくれました。

また100kmマラソンへの挑戦は、ぜひ実現して欲しいと思います。



2017世界陸上  女子マラソン結果 〜前に出る勇気を〜

メダル、入賞が期待された女子マラソンですが、清田選手の16位が最高という結果に終わりました。

以下、上位選手のタイムと日本人選手のタイムです。( )内は自己ベストタイムです。(自己ベストはしゃぼん玉ニュースを参照)

上位選手の結果を見ると前評判の高い選手が占めていますが、日本人3選手が戦えないような力の差はないと思います。実際、優勝したR.ケリモ選手の自己ベストは2時間24分14秒で、3位のA.クラッグ選手は2時間27分03秒と日本人3選手より下です。

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トップ10

  1. R.ケリモ バーレーン 2:27:11(2:24:14)
  2. E.キプラガト ケニア 2:27:18(2:19:50)
  3. A.クラッグ アメリカ 2:27:18(2:27:03)
  4. F.ダニエル ケニア 2:27:21(2:21:22)
  5. S.デミセ エチオピア 2:27:58(2:20:59)
  6. E.キルワ バーレーン 2:28:17(2:21:17)
  7. H.キプロプ ケニア 2:28:19(2:21:27)
  8. M.ディババ エチオピア 2:28:49(2:19:52)
  9. J.トレンゴブ 豪州 2:28:59(2:27:01)
  10. B.ディババ エチオピア 2:29:01(2:21:19)

日本人選手

16. 清田 真央 日本 2:30:36(2:23:47)
17. 安藤 友香 日本 2:31:31(2:21:36)
27. 重友 梨佐 日本 2:36:03(2:23:23)

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アップダウンや折り返しや急なカーブが多い難コースですが、日本人3選手は本来の力を出すことなく失速してしまったように思えて仕方がありません。

もちろん3選手はすごく頑張ったと思いますし、高橋尚子さんら解説者が話すように、次に繋がる経験を積んだと思います。

しかし、テレビ中継で話すほど3選手は上位選手と比べて力が劣っている訳でも、練習が足りない訳でもないと私は思いました。

なぜ、メダル争いができなかったのか?入賞争いができなかったのか?をしっかり分析していかないと東京オリンピックでも同じような結果になってしまいます。

レース後のインタビューで選手が話しているように終盤ついていけなかったのは間違いない事実です。終盤のペースアップに日本人選手は対応できず、上位選手が35kmから40kmを16分前半なのに対して、清田、安藤は18分中盤、重友に至っては20分中盤まで失速し一気に差を広げられました。前半の揺さぶりや後半のペースアップに対応する力がなかったのも間違いない事実でしょう。

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しかし私が疑問に思うのは、なぜ自分の得意なレース展開に持ち込まなかったかです。スローペースで入り、揺さぶりをかけるのはケニア、エチオピア、バーレーンなど優勝候補選手の得意なレース展開であり、今回もその相手の土俵に乗ってしまったのです。

ペースメーカーのいるレースであれば、一定のペースで走れる集団で体力を温存する作戦は分かりますが、アフリカ勢が上げ下げするのは分かっていることだし、あの狭くカーブの多いコースで周りの選手と接触しないように気を使って走るのは決して得策ではなかったと思います。

今回素晴らしいレースになった男子10000mでは、王者ファラーの得意な展開にならないよう他の選手が速い展開に持ち込みました。それでもファラーは強かったですが、相当追い詰めたのです。

日本人3選手は先頭グループを引っ張る力を持っているのだから、ペースが遅すぎると思えば、先頭に出てレースを作っていくような積極性が欲しかったと思います。一人で出ていくのが怖いのであればチームJAPANで対応して欲しかった。

そして、日本人3選手はみんな強いのです。自信を失うことなく今回の経験を生かして次に生かして欲しい。

そんなことを感じた深夜のテレビ観戦でした。

 



箱根駅伝5区ランナーだった五郎谷選手が富士登山競走を目指した理由  〜コモディイイダ会沢監督談〜 その1


箱根駅伝の山登り区間である五区は、幾多のドラマが生まれた区間であり、順天堂大学の今井選手、東洋大学の柏原選手、青山学院大学の神野選手など山の神と呼ばれるスター選手が生まれた区間でもあります。

今年の富士登山競走 山頂の部で歴代2位の好タイムで優勝した五郎谷選手は、2015年、2016年と東洋大学の選手としてこの五区を走り、2016年は1時間19分53秒と区間3位の走りをしました。

その箱根ランナーが富士登山競走を目指した理由など、コモディイイダ 会沢監督から教えていただきました。

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●入社動機と勧誘●


トレイルの世界で戦いたい!というのが、五郎谷の社会人での目標でした。もともとトレイルをやらせてくれる実業団がなかったこともあり、一般企業にすすみ、自身の時間でトレイルをすると決めていました。ある企業から内々定を頂いていましたが、東洋大学の酒井監督から当社に枠がまだあるかという話を東洋大学出身の西山コーチを通じて頂きました。

当社にとっては知名度的にも願ってもないチャンスであり、すぐに練習に招待し、会社や練習環境について説明しました。

当時は、完全フルタイム勤務の中での競技でしたので、厳しい環境はしっかり説明した上で、当社を選び、駅伝にでてくれるなら、トレイルレース参加も大丈夫とし、年間のレース計画も渡しました。入社から5月まではトラック中心、6月から富士登山競走にむけたトレーニング。富士登山、十和田八幡平駅伝5区、火祭りハーフマラソンをトレイルに見立てたレースとして夏場に組み、9月からは実業団駅伝にむけて仕上げていくというイメージです。そして、入社を決めてくれました。

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入社後知ったトレイルを目指す理由


まず、監督としてしっかり理解したかったことは『なぜ、トレイルを目指したいのか?』ということでした。そんなことから彼と話をしていくと、【山が得意=トレイル】という発想で、実際のトレイルがどんなものかを知らない状態でした。

私自身もトレイルについてはなんとなくのイメージしかありません。そこで、ネットで調べ、トレイルランナーが下りを駆け抜ける動画に私は『え、、、』と感じたのが正直な感想でした。それはまさに、大事故にいつ繋がってもおかしくない。チームで駅伝を目指す監督としては、駅伝前にこれを選手にさせる訳にはいかないと感じました。

そこで、五郎谷と話をし、動画を見させたところ、興味はあるものの、登りの能力を活かしたいということで一安心しました。同時に、彼の中のトレイルを目指す意味について、もしかして?と感じたことがあり、何度か話をし、わかったことがありました。

それは、世界で戦いたい!ということでした。その競技として、自分自身が得意な山登りを選んだということでした。

つまり、トレイルにこだわっていた訳ではなかったのです。(*今は、トレイルレースにも、スカイランニングにも興味を持っています。)

彼は全国高校駅伝1区でも29分39秒で走り、インターハイ5000でも決勝に残る力をもって、強豪 東洋大学に入りました。そこで、先輩にあたる設楽兄弟の走りを目の前にして『トラックでは勝てない』と痛いほど感じ、自分が日本代表として世界で戦えるのは、登りだ!と思い、それを生かした種目を走りたいというのが本音でした。その意味で、富士登山競走の山頂の部で優勝し、日本代表になることは最初の目標にはうってつけでした。

しかし、山頂の部で優勝するには、まずは五合目の部に出場し、山頂の部参加資格タイムをクリアしなければならないということを知り、第一目標を達成するのに入社から一年半かかりました。

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1年目の五合目出場にむけて


私自身、一般的な長距離種目の経験しかなく、練習で高尾山を走ったことがある程度。

しかし、選手が出場したいという以上、できる範囲で対策や情報を集め、チーム練習の合間をぬって、二回の試走にいきました。そこでシューズが大丈夫か、情報収集したペースで大丈夫かなどの確認をし、本番に挑みました。

80分は切れると試走で感じていましたが、まさかの34年ぶりの大会新記録で優勝しました。

それを期に、その一週間後の十和田八幡平全国駅伝の5区で強豪実業団選手をやぶり区間賞を獲得。8月末の火祭りロードレース(ハーフマラソン)では、川内優輝選手がもつ大会記録を更新して優勝しました。さらにそこで手にしたユナイテッドグアムマラソン(ハーフマラソン)でもコースレコード樹立して優勝と、気象条件、高低差のはげしいレースで着実に力をつけていきました。