ウルプロメンバー 植村雄一郎さん サブ3達成 目標達成に大事なこと④〜勝負レースでの挫折そして故障〜

 

ウルトラプロジェクト入会2ヶ月目の北海道マラソンで予定通りsub3.5で走り別府大分毎日マラソンの資格タイムをクリアし、続く10月の大阪マラソンでは一気に3時間05分と入会時の計画より速いタイムでゴールするなど極めて順調な日々を送っていた植村さんですが、奇しくもその大阪マラソン後から少し歯車が狂ってきました。

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大阪マラソンで3時間05分だったのだから、2月の別府大分毎日マラソンならsub3ではなく2時間50分が切れるはずだと考えたのでしょう。しかしつくばマラソン、青島太平洋マラソンと思うような走りは出来ず、練習すれば練習するほど遅くなると本人が話すような悪循環の時期でした。

そして迎えた別府大分毎日マラソンはこのような結果となりました。

2017年2月5日 別府大分毎日マラソン

3:10’51”(3:10’20”)

1年目の最大の目標としていた大会です。

この大会に出るため、この大会で結果を残すために練習を頑張れたと言っても過言ではありません。

目標は最低サブスリーでした。ランニングを始めて1年以内でサブスリーをすることを1つの目標にしてきたのです。

1月のハーフマラソンでも大幅にPBを更新でき、大会前の調整も順調で絶好調でしたから、サブスリーは容易に達成できると思い込んでいましたが、現実はそんなに甘くはありませんでした。

別府大分毎日マラソンは私がこれまでに出た大会と違い、スタート時間が朝ではなく正午でした。これまでの大会と違うところはそれだけでなく、勝負レースと意気込んでいたので今までの大会とは比較できないくらい緊張していました。

スタート時間がこれまでと違うということは、食事の取り方や、当日の調整方法が変わってきますが、そういったことも考えずに、当日は今まで通り準備していました。緊張のあまり、食事も喉を通りませんでしたが、この時はこれが悔し涙に繋がるとは思いもしませんでした。

30km手前で失速した原因はいろいろありますが、大きな原因はハンガーノックです。天狗の鼻をへし折られました。

ただ、この失敗が今後の成長に繋がったんだと思います。

真夏の北海道マラソンで必ずサブスリーをしてやるという目標が出来ました。

初めての別府大分毎日マラソンは舞い上がりすぎて、苦い思い出の大会になりましたが、私を大きく成長させてくれた大会となりました。

失敗からは目を背けたいものですが、失敗から学ぶことはたくさんあり、振り返ることで大きな成長につながります。振り返りの重要性を学んだ大会です。

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大会当日はウルトラプロジェクトからも何人か出ていたので、ランナーズアップデートでチェックしていました。植村さんはレース前に相談したペースより少し抑えたタイムで確実に走っているようでした。現地に応援に行った育子さんにメッセージで様子を聞いたりしていました。ハーフ通過は1時間27分05秒で25kmまでは5kmあたり21分を切る安定したペースで走っていたので2時間50分はダメでもsub3は行けると思っていました。しかし25−30km区間で一気に22:18に落ち、そのまま崩れ落ちるようにラップは崩れていきました。3時間1桁でゴールしたウルプロメンバー2人にも抜かれたのは悔しかったと思います。

上記振り返りで本人はハンガーノックと書いていますが、レース直後に電話がかかってきた時には気づいていませんでした。

本人は『25km過ぎまでは順調すぎるほど順調で相当余裕を残していたのに、急にきつくなり耐えることも出来ませんでした。もう何が何だか分かりません。』的な感じで非常に落ち込んでいました。そこで電話でレース展開や補給などを一つ一つ質問し、植村さんに答えてもらうと、原因は明らかにガス欠の症状でした。植村さんにそのことを伝えると、ジェルも予定通りとったしそんなこともない。と言いながら朝からのことを思い出しました。

実際ガス欠だったのかどうかは分かりませんので、その他失速の要因がなかったのか自分で振り返ってもらいました。言い訳のために振り返るのではなく、次回頑張るために振り返るのです。

ただレース前に自分を奮い立たすために『sub3は最低限の目標だ』と周りに話していたことから、非常に悔しいレースになったと思います。

そのレース後に練習を再開した植村さんは、名古屋ウイメンズマラソンを走る育子さんのペーサーをするなど一緒に走っていると育子さんの身体に異変が生じ、育子さんは完治まで数カ月要する疲労骨折となり、名古屋ウイメンズマラソンも長野マラソンも棄権することになりました。

この二人の練習で育子さんが痛みを感じ、練習を途中でやめたと聞いたので、すぐに整形外科で診てもらった方が良いと伝えました。すると当日病院に行き疲労骨折が発覚したのです。

その時のメッセージを見ると、このようなに伝えています。『火曜日のビルドアップが余計だったかもしれないですが、植村くんも含めて過去にない痛みを感じたらすぐに走るのをやめて、病院などに行きましょう。 まずは治すことを第一義に考えて、治ってからも負荷やリカバリーを優先して行きましょう。それと今回の二人の練習メニューを振り返ってどの辺りの負荷が高すぎたのかも確認してみてください。』

さらにその直後に植村さんも疲労骨折(2週間後に疲労骨折寸前の重度の炎症)と診断されたのです。これはその当時のメッセージです。

『長野出れなかったら北海道までフルはないです。 新澤さんの予想で北海道でサブ3して別大確定出来ると思いますか?
私の予想では予定通り行けば、北海道でいけると思っています。 ですが、新澤さんの遠慮のない意見を聞きたいです。』

 

つくば、青島太平洋、別府大分とsub3に遠く及ばない結果だった植村さんにsub3できるよというのは簡単ですが、この3レース足踏みした理由を本人がしっかり考える機会なのでこのように答えました。

『真夏の北海道サブ3は、実質2時間40分から45分くらいの力が必要。

そのためにもまずはシッカリ治そう。あと、ポイント週3日の練習負荷もあるけど、それに見合うケアが出来ていれば、張りが強い状態で故障前に気づけたのではないかと思うと残念です。

トレーナーについているなら、トレーニングよりも、身体の状態をよくするリカバリーをメインにしたほうが良いと思います。 目標修正は要らないと思うけど、練習量に見合うリカバリー、ケアはしていきましょう。

故障が治っても、故障には少し臆病になり、自分自身で、少しづつ、この張りは故障しない。これは危ない張りだと線を引き上げていきましょう。』

『わかりました。 ありがとうございます。 別大をサブ3以上のカテゴリーで出るのはクリアして当たり前の条件であり、あくまで今の最低限の目標は来年の福岡です。 そのために今出来ることは完全に治すことであるのもわかっています。 1ヶ月休みながら何をしたらいいんだろうと、ずっと考えています!』

 

『植村さんの潜在能力は高いのは自他共に認めるところでしょう。高い目標に向かって挑む姿勢も素晴らしいと思う。そのためには故障しないためには何をすべきかの観点で自分の身体に注視したら良いと思う。そのことを中心に据えれば何をしたらよいかいろいろ見えてきます。

・この練習は今の自分には負荷が高すぎる。

・この練習は負荷が高いけど無理も必要。だから翌日のスポーツマッサージを予約しておこう。

・今日はポイント練習の予定だけど、ふくらはぎが嫌な感じだからジョグでチェックして明日にスライドさせよう。

そして自分の身体を媒介に、自分が感じている状態と、トレーナーが感じている状態のギャップをチェックしたり、この張りはなぜ起こるのか?を自分で考えるとともにトレーナーに聞いてみるとか、客観的に、調子が良い時と比べて、いまは何点なのか?とか、ケアのためだけではなく、自分の勉強のために使ってください。』

こんなやりとりがありました。

その後、心肺能力など落とさないように毎日のようにプールに通い、本人自身が驚くような短期間に復活しました。そしてこの間に蓄積していた疲労が抜けたのか、疲労困ぱいの表情が生き生きとしてきました。

そして長野マラソンは体調確認の意味を込めて走りました。

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2017年4月16日 長野マラソン

3:09’05”(3:08’53”)

別府大分毎日マラソン後、モチベーションが上げられませんでした。練習は継続していたのですが気持ちがついていきません。

モチベーションが上がらないことを新澤さんに相談すると、「普段しっかりと練習してるんだから、そんな時は走らなくていい。走りたくなる時がくるから、その時に走り出せばいい。」とアドバイスをいただきました。この言葉に非常に救われました。

私は1つ1つの大会を非常に大事にしています。フルマラソンの大会で練習として出る大会は1つもありません。長野マラソンにエントリーしていたおかげで、走らないといけない状況を作れました。

付け焼刃の練習しか出来ていなかったのですが、長野マラソンは別府大分毎日マラソンよりもいいタイムでゴールすること出来ました。

気合を入れて出た別府大分毎日マラソン、モチベーションを上げるのに必死な状態で出た長野マラソン、皮肉にもタイムは気持ちとは逆な結果になりました。

マラソンって本当に奥が深く、メンタル・フィジカルのバランスが取れないと結果の出ない面白い競技だと思った大会でした。

 

この翌週にチャレンジ富士五湖71キロをエントリーしていましたが、脚の張りがひどいのと、故障再発が怖いのでDNSとなりました。

大阪マラソンからの半年間は植村さんにとって勝負レースでの挫折を含めて様々なことがおきましたが、色々学んだ時期でもあると思います。

このあと、植村さんの転機になったと私が思っていることがあります。



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