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ランナーズハイは意図的におこせるのか?〜脳科学とウルトラマラソンからのアプローチ〜前編

この文章は、私が半年間通った、宣伝会議 編集者・ライター養成講座の卒業制作です。これから編集者やライターになりたい方だけではなく、現在出版社で仕事をしていたり、フリーライターをしていたりと、とにかく書くことが好きな方々が100人以上集り講義で学んだことを生かして卒業制作にチャレンジしました。

まだ全部は読んでいませんが、非常にレベルの高い記事もありますし、私が全く知らない、興味のない分野の記事を読むことで、こんなことがあるのか!など新たな気づきもありました。

その提出された卒業制作を、この業界で著名な方々が選考委員となり最優秀作品2点、優秀作品8点を選考しますが、私のこの記事も優秀作品に選ばれました。

最優秀作品になると、宣伝会議や他のメディアに掲載されることから、このページで掲載することができなかったかもしれませんが、優秀作品はその限りではないので紹介します。

提出物は雑誌に掲載するような縦書き3段でしたが、WEBページは横書きなので、少しイメージが変わるかもしれません。またWEB用に少し修正します。

優秀作品に選ばれた時に書いた記事はこちらです。ぜひこちらを読んでからお読みください。

10本目の金の鉛筆〜3年前の忘れ物が私の手元へ〜

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ランナーズハイは意図的におこせるのか?

〜脳科学とウルトラマラソンからのアプローチ〜

プロローグ

2013年6月、私は北海道で開催されたサロマ湖100キロウルトラマラソンの65キロ地点を走っていた。

自己ベスト(8時間56分)更新を目指しスタートしたが、中間点を過ぎると徐々にペースは落ちはじめ、自己ベストどころか9時間を切ることも難しくなった。激しい疲労感から気持ちはネガティブになり、言い訳ばかり考えていた。

「練習できてないから9時間半でも十分」と脳裏に浮かんだが、「それで良いわけない!」とすぐに打ち消した。弱すぎる自分に腹が立った。その怒りがバネになり、私を抜いていったランナーを追いかけ追いつくと、さらに前のランナーを追いかけた。速いペースなのになぜか苦しさは消え、力が漲ってくる不思議な感覚だった。ランナーを抜き続けることでその高ぶりは加速していき、気づくと絶望的だった自己ベストも見えてきた。

その時は記録より元気に走れていることが嬉しく、この瞬間をできるだけ長く感じていたかった。中盤まで感じていた身体の痛みや疲労感も消え去った。このままゴールまで、いやゴールを突き抜けてどこまでも走ることができる。自分が鉄人にでもなったかのような高揚感に包まれていた。

残念ながら、それは89キロ付近でスイッチが切れたように終わってしまった。それは折り返し場所を間違えそれに気付いて引き返した瞬間だった。そこからは痛みと苦しさに耐え8時間53分でゴールしたが、自己ベストを更新した嬉しさより、あの感覚をまた味わいたいという気持ちに駆られた。

□フルマラソン完走者は人口の0.5%

2007年にスタートした東京マラソンがキッカケになりランニング人口は増加しフルマラソンを走るランナーも増加した。2017年4月から2018年3月にフルマラソンを完走したランナー数は約37万人(ランナーズ2018年7月号別冊付録 第14回全日本マラソンランキング)であり、10年前と比べると3倍になった。

ただ、その対象を20歳から64歳にしぼりこむと約36万人になるが、これは直近の総務省統計局発行の人口推計(平成30年10月22日発行の平成30年5月1日確定値)の同じ年齢区分の人口約7千万人と比較すると0.5%程度。人口200人あたり1人にしかいない計算になる。

それでもこのテーマを選んだ理由は、ランナーであれば少なからずランナーズハイに興味を持っているが、言葉だけが一人歩きしていると感じることがあり科学的なアプローチによって突き詰めたかった。そして何よりあの感覚をまた味わいたいと思ったからだ。

私は何度かランナーズハイを経験しているので、どのような時に発生しやすいのか私なりの仮説はある。そこに脳科学者の本田学氏の科学的見解と、ウルトラマラソンで日本代表経験のある小谷修平氏の経験を加えることにした。

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□脳科学者の本田学は208キロレース完走者

まず、国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 部長の本田学氏にインタビューを行った。本田氏の専門は神経科学、神経内科学、感性情報学で、脳の情報処理の側面から心の病に迫る「情報医療」の開発に取り組んでいる。そして200キロを超えるウルトラマラソンを完走している。

ランナーズハイのメカニズムとは。

ランナーズハイについて本田はこう話した。

ランナーズハイは、厳しい身体的条件で走っている時に、気分が高揚し、普段では出せないような力が出たり、本当なら辛くて仕方ないはずのことがありえないくらい楽しく感じられたり、幻覚が見えたりするような現象のことだと思います。こうした現象は、精神変容物質(覚醒剤や麻薬、脱法ドラッグなどを含むいわゆるドラッグ)に非常に近いと考えられます。おそらく、厳しい身体条件についての感覚を和らげるために、脳のなかに脳内麻薬という快感を発生させる物質が大量に放出されるために起こると考えられます。

 

そしてこう続けた。

ドラッグと同じと聞くと危険な気がしますが、実はそうではありません。快感を感じる神経回路は、脳の中に〈報酬系神経回路〉として元々インストールされており、そこに働きかける脳内麻薬は自分で生産する化学物質なので、神経に作用して快感を発生させると、即座に分解されたり再吸収されたりして副作用を発生しません。

この神経回路を脳内麻薬とは似て非なる人工的な化学物質で強制的に興奮させるのがドラッグです。脳内麻薬とドラッグの関係は、いわば鍵と偽の合い鍵のようなものです。鍵のようにはまるが、偽の合い鍵なのでうまく外れず、そのことによって深刻な副作用や常習性が発生してしまう、というように理解していただければよろしいかと思います。

言い換えると、ドラッグによって得られる快感自体は、人間は自ら作り出すことができるものであり、快感自体は決して悪いものではない。例えば、お祭りの中で演者やそれを観る人がトランス状態になって、すごい快感を感じるような現象が地球上のさまざまな文化で広く観察されます。彼らの多くは、ドラッグはもとよりアルコールすら使いません。

ランナーズハイも基本的にはそれらと同じ現象で、厳しいランニングという身体条件によって脳の中で生産された脳内麻薬が、報酬系神経回路に働きかけることによって発生する現象だと思います。

こうした快感を自力で作り出せなくなった人が、努力をせずに化学物質で安直に快感を得ようとするのがドラッグと言って良いと思います。そういう意味では、ランナーズハイは、脳の快感をつかさどる神経回路を、化学物質を使うことなく、〈運動情報〉という人類本来の方法を使って、人類本来の快感を発生させる手段の一つと言うことができるかもしれません。

 

ランナーズハイを調べると脳内麻薬、エンドルフィンといった言葉が出てくるので、心身に悪影響が起こらないか不安であったが、本田の説明を聞いて安心した。

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□ランナーズハイはモルヒネの30倍以上効く

 ランナーズハイは、どのような時に発生するか質問した。

ランナーズハイの発生にはさまざまな条件が関与するので一概に言えませんが、一つ大きいのは肉体的苦痛の存在です。たとえば出産のような大きな痛みが身体に加わるとき、その苦しみによって脳が壊れてしまわないように、脳は快感物質を放出することで自覚的に感じる痛みを軽減しています。

そのときに産生される物質はエンドルフィンと呼ばれる物質ですが、これはモルヒネと同じ神経回路に働きかけて鎮痛効果を発揮しモルヒネの30倍以上もよく効くのです。したがってランナーズハイは、極めて強い肉体的な負荷(疲労や眠気なども含む)が長時間続いているときに起こりやすいことは確かです。

またランナーズハイを引き起こす脳内のメカニズムが報酬系神経回路の活性化であることを考えると、報酬系神経回路を発生させ易い条件で起こりやすいだろうと予想されます。それには音や光などの視聴覚情報も関係します。例えばお祭りでトランス状態になりやすいときに使われる視聴覚情報としては、重低音や衝撃音、16ビート、ミラーボールのような目を射る光、薪のようなゆらぎをもった光などがあります。実は私が研究している人間の耳に聞こえない高い周波数の音の存在もそのうちの一つです。虫の声や自然環境音に豊富に含まれます。

また自分の中でどのようなことを考えるかというのも大きいと思います。自分がゴールする瞬間や優勝して表彰台に立つ姿など、嬉しく楽しいシーンを想像することも役立つ可能性が大きいと思います。つまり、いかに報酬系を活性化させるかが鍵になると思われます。

 

本田の話の中に興味深い一文があった。それは肉体的苦痛の存在が必要だということだ。そもそも終始調子良く走れているならランナーズハイは発生しない。私が経験したのも全て苦しんだ後だ。

ランナーズハイは意図的におこせるのか?〜脳科学とウルトラマラソンからのアプローチ〜中編に続く

ランナーズハイは意図的におこせるのか?〜脳科学とウルトラマラソンからのアプローチ〜中編