ウルトラランナー紹介

髙田 由基(Yoshiki Takada)

ランナー

プロフィール

ランナー

小学校教員 100kmマラソン日本代表 1983年生まれ 北海道深川市出身 大学時代から100kmマラソンに挑戦し、IAU100km世界選手権に日本代表として過去4回出場し、2014年カタール・ドーハでは5位入賞を果たし国別対抗戦銀メダルに貢献した日本を代表するウルトラランナー

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過去の大会結果 100km

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大会名
開催日
距離等タイム結果
2015年6月30日現在
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2006.6
100km 8時間29分01秒 19位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2007.6
100km 7時間30分06秒 10位
世界選手権(オランダ)
2007.9
100km 7時間47分15秒 54位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2008.6
100km 7時間08分34秒 6位
世界選手権(イタリア)
2008.11
100km 8時間54秒05秒 99位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2009.6
100km 7時間43分57秒 8位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2010.6
100km 8時間35分29秒 31位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2011.6
100km 6時間57分00秒 6位
世界選手権(オランダ)
2011.9
100km 7時間03分55秒 8位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2013.6
100km 6時間49分53秒 4位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2014.6
100km 6時間55分11秒 4位
世界選手権(カタール・ドーハ)
2014.11
100km 6時間46分47秒 5位
サロマ湖100kmウルトラマラソン
2015.6
100km 6時間42分04秒 4位

自己ベスト

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種目記録大会名開催年月
2015年6月30日現在
マラソン 2時間28分36秒 東京マラソン 2014.2
100キロ 6時間42分04秒 サロマ湖100キロ 2015.6

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ウルトラマラソンはじめたきっかけ

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大学3年生の冬、大学生のうちにマラソンを走りたいと思いエントリーできる大会をさがしたところ、エントリーできる大会がありませんでした。そのとき、目についたのがサロマ湖100km。マラソン走ってからじゃないといけないというルールはないし、よし、出てみよう!と決めました。

2006年 〜初めてのウルトラマラソン〜

初めてのサロマは大学4年の教育実習の直後に開催された2006年大会でした。序盤こそ順調でしたが、だんだん膝・足首が痛くなり、60㎞(いわゆる魔女の森)で歩き始めました。脚を引きずりながらワッカを進んだときには「もう100kmはいいな」と思いました。

翌日病院に行って松葉づえをもらうほど足首は腫れあがってましたが、レースから3日もたつと「このままじゃ終われない」という気持ちが生まれてきました。

2007年 〜初めて世界選手権〜

2回目のサロマは、およそ1時間記録を更新しました。その年は日本代表が9人選出され、辞退者がいたため僕のところにも日本代表の打診がきました。

それを受け、出場したオランダでの世界選手権は、何もわからぬまま終わってしまいました。絶対的に力不足でしたので、当然といえば当然のことでした。

しかし、この時、日本は男女ともに個人(渡邉真一さん、櫻井教子さん)、国別対抗で金メダルを獲得する姿を見て、またこの舞台に戻ってきて、しっかり戦いたいと思いました。結果はよくありませんでしたが世界を意識させてくれる機会となり、来年のサロマは6位以内(国別対抗の登録数=6)に入って、再び世界選手権を走ると誓いました。

2008年 〜自己ベスト更新と2回目の世界選手権〜

3回目のサロマに向けて練習量を増やし、6位以内を目指し目標通り6位に入りました。

イタリアで開催された世界選手権は(当時大学院2年生)学生最後の100kmマラソンであり、競技として臨むのは最後になるかも。という思いで臨みました。

ところが出発日に痛めた膝の影響もあり、結果は散々。今思っても悪夢のようなレースでした。 よく完走したな、という感じです。その分、メンバーとスタッフにたくさんの心配と迷惑をかけました。

そこでも「このままじゃ終われない」と思いました。

2009年 〜世界選手権辞退〜

社会人1年目。この年の世界選手権(ベルギー)は、サロマ湖前(6月)に行われたため、直近2年の実績からメンバーが選考され僕も声をかけていただきました。前年のリベンジという思いから出場したい気持ちはありましたが、社会人1年目という状況から止むを得ず、辞退することとなりました。

サロマ湖にはエントリーしていたので、練習は不十分でしたが出場しました。

2010年 〜サロマワースト記録〜

働き始めてからは学生時代のような練習を積むことができず、自分でも分かるくらい力は落ちていきました。サロマも初めて走った時より遅いワースト記録となってしまい、またその夏のハーフマラソンで、どんどん抜かれる惨めな自分に「これではダメだ」と思いました。

それからはコンスタントに練習を重ね、競技場に行ってスピード練習にも取り組むようになりました。その結果どんどん伸びる自分に楽しさを感じました。

陸上を始めたころの気持ち、大人になってから走り始めてハマる人の気持ちってコレだな、と感じるような楽しさがありました。

2011年 〜復活 サブ7達成〜

ある程度の手応えをもって臨んだサロマ湖は6位以内かつ7時間切りと、当時の北海道記録(6時間58分11秒 作田徹さん)更新を目標にしていました。

結果6時間57分00秒で6位。1年前の自分からは想像できない最高の走りができました。

 

世界選手権(オランダ)では念願の入賞(8位)を果たすことができました。と、同時に運も良かったので、実力的にはまだまだだと感じました。

2012年 〜休止〜

この年の世界選手権(イタリア)も、サロマ湖前(4月)に行われたため、前年のメンバーがほぼそのまま選ばれました。

もちろん僕も声をかけていただきましたが、職場が変わったばかり(この年4月、旭川から名古屋へ)の状況からして、再び日本代表を辞退することとなりました。この年はサロマ湖にも出場しませんでした。

2013年 〜幻の100km日本陸連派遣〜

この年から、100km日本代表が日本陸連派遣になりましたが4枠に減りました。ということで4位以内を目指し練習に取り組みましたが、レース前日、世界選手権が開催されないことが分かり拍子抜けしました。

ただ、やってきたことを発揮することに変わりはないので、レースに集中した結果、6時間49分53秒の自己ベストで4位。

世界選手権が無いことにあらためて、ガッカリしましたが、自分のサロマ湖最高位&6時間50分切りできたこと、そしてワイナイナ選手に勝てたことが自信になりました。

また、初めてドーピング検査を受け貴重な経験となりました。飛行機に乗り遅れるのでは?と若干不安になりましたが。

2014年 〜日本陸連派遣で世界大会へ〜

ランナー

今年こそは日本陸連派遣で世界大会へと臨んだ2014年のサロマ湖は、練習内容や現状の力、他の選手のレベルからも自己ベストを目指すべく4.00/kmペースで走る予定でした。

しかし当日のスタート前から汗ばむような気象状況であったことからスタート前に下方修正しました。結果タイムこそ6時間55分11秒でしたが、概ね自分のイメージ通りの展開で4位になることができました。

ランナー

カタール・ドーハで行われた2014 IAU 100km世界選手権では6時間46分47秒で5位入賞することができました。また国別対抗戦は男女とも銀メダルを獲得することができました。

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2015年 〜自己ベスト更新で再び世界大会へ〜

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〜高田選手のFacebookから引用〜

4位 6時間42分04秒 日本代表内定(自己ベスト・愛知県記録)

スタート時の気温は5〜6℃の最高のコンディション。スタート直後から、前方に大きな集団ができているけど、3分55〜4分/kmの自分のペースを維持して走ると少しずつ順位は上がって行きました。

50km通過が3時間14分56秒。少しずつ順位は上がってきたけどこのタイムでも13番通過。みんなどれだけ速いのかと驚く。この辺りで、後方からペースを上げてきた(優勝した)原さんが来たので並走しました。ペースを維持して進むといわゆる魔女の森で8番に上がり70kmは7番で通過しました。この辺りで原さんがペースを上げたのか、自分のペースが落ちてきたのか、原さんが少しずつ離れていくが、僕も少しずつ前の選手を捉えていきました。

73kmあたりサロマ鶴雅リゾートで、日本陸連の木内さんから「ここからだぞ〜!」と檄が入った。(えぇ、わかってます。前に行きますよ!)と前を追った。見通しのいい道路で前に3人見える。原さんが抜いて順位を上げていく。自分も2人抜いて、サロマにおける高田由基史上最高位の3位になったことにちょっとテンションが上がる。さぁ、ワッカ。とカーブを曲がる。その際、後ろを向くとさっきまでいなかった選手がいい勢いで追ってきている。(え、まじ!?)と焦りました。

スペシャルとってワッカに入り80kmを通過。砂田さん「1分、1分」「前と(原さんと)?」「そう、行けるよ~」その直後抜かれる(4位)。(は、速い。)ワッカに来てこのペースとは・・・。ついていけない。仕方ないから確実にスペシャルを補給する。見える範囲ではありたい。やはり表彰台は遠いのか? …と

しかし85kmくらいのエイドでさっきの人が立ち止まっているので抜く。ややや、今年こそ、表彰されるか。逃げたい、なんとか逃げたい。89km折り返してくる先頭。その後ろ1分ちょっとか?原さん。ハイタッチ的に手を差し伸べてくれ、こちらも手を出すが、物を持っていたので控え目になり、エアタッチに。でも、思いは受け取りました!

ワッカの果ての折り返し。30秒と経たず後ろに来てた。。。とにかく3位のまま逃げたい。

90km通過(3位)。92㎞くらい、再びあっさりかわされる。うわ~。。。でも、維持、維持、意地!すれ違うランナーに知り合い多数。たくさんの励まし、檄をもらう。4位は絶対に!

ラスト4kmの20mくらいだけど急激な坂で、一瞬攣りそうになるも安全運転で乗り切る。ラスト3kmを通過し、ワッカを脱出。角を曲がってラスト2㎞。後ろはまだ見えない。ここでようやく4位を確信。ほっ。あとは、自己べストを1秒でも速くすべく。ゴールへ。必死でゴールへ。

FINISH!「つかれたぁ~!」

直後、木内さんと握手。オランダ行の調書受け取る。 よかった、よかった。また、4位だけど。(3年連続。。。)

ランナー

6時間42分04秒。このタイムでも4位かぁ。やはりハイレベルだったな今年のサロマ。ゴールしてくるたくさんの方々と話し、シャワーし、北海道新聞の記者とも話し、

13:50 ゴール地点出発。

14:30 女満別空港着。

15:50 女満別―17:50中部国際空港

6/29(月) 1時間目 国語

〜引用終了〜


しかし14時30分というとまだスタートから9時間半です。この時間にゴールできているランナーはまだ少数です。その時間にフライトまで余裕を持って女満別空港に到着しているとは驚きです。さらに中部国際空港に到着した17時50分は制限時間である13時間直前です。そう考えるとトップランナーのスピードがどれほどなのか想像できると思います。

また今回は高田選手の強さがでたレースだと思います。非常に走りやすいコンディションであったから序盤からハイペースな展開となりましたが、過去の経験からそんなペースで走りきれるランナーは少ないと冷静に判断し自分のペースを乱すことなく4位に入った。プランニングだけではなく自己制御力も非常に強いランナーです。

2015年大会のラップ

ここで高田選手の10kmごとのラップを掲載します。10km通過40分って速いで終わらせないでください。

一番見て欲しいのはゴールタイムに占める10kmごとのラップタイムの比率です。さすがに終盤は多少落ちてはいますが、前半50kmのタイムはゴールタイムの48.5%なのです。ちなみに10時間でゴールした方の多くは前半50kmの通過は4時間35分前後と思いますが、この場合の前半の比率は45.8%です。

48.5%はちょっと信じられないタイムでしたが、上位選手を調べてみると優勝した原選手をはじめ軒並み驚きの数値でした。上位選手は100kmの序盤も終盤も同じようなペースで走るのだから素晴らしいです。

計測ポイントラップスプリット比率
10km 0:39:56 0:40:02 9.9%
20km 0:38:52 1:18:54 9.7%
30km 0:38:46 1:57:40 9.6%
40km 0:38:30 2:36:10 9.6%
42.195k 2:44:35
50km 0:38:46 3:14:56 9.6%
60km 0:39:24 3:54:20 9.8%
70km 0:40:07 4:34:27 10.0%
80km 0:40:23 5:14:50 10.0%
90km 0:43:10 5:58:00 10.7%
Finish 0:44:04 6:42:04 10.9%

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100キロ走るのに大切なこと

ランナー

100kmを走るのに大切なこと月並みの言葉ですが、100kmを目標通り走るのに必要なことは計画性です。練習計画とそれに見合った目標タイム、そのためのペース計画。あるいはその逆(目標タイムとそれに見合った練習)。当然のことながら、経験が、その計画をより確かなものにしていくでしょう。序盤快調だからと計画無視で走るのではなく、我慢するくらいのペースがちょうどいい。「ペース配分」とは、レース全体にわたって力を発揮する重要な戦術です。

これからの目標

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世界選手権で個人のメダル、そして団体の金メダルをとることです。

最後に

ランナー

マラソン人気の高まりに伴い、ウルトラマラソンの人気も年々高まっています。

しかしながら、一般的には100kmマラソンそのもの、ましてや世界選手権があることなど知られていません。

自分達が結果を残すことで、みんなに100kmマラソンのこと、100キロJAPANのことを知ってもらえたら嬉しいです。

新聞や雑誌などでもどんどん取り上げてもらえるようなものになっていけば、と思っています。そのためにも、たくさんの方々に興味を持っていただけるような結果を残していきます。

『100キロJAPAN』『100キロの公務員ランナー』への応援と周知よろしくお願いします!

がんばります。