石川佳彦バッドウオーターウルトラマラソンで優勝〜BADWATER ULTRAMARATHON史上最速タイム〜
こちらは、先日書いた記事です。合わせてお読みください。今回33回の開催になったこの大会の歴代記録など掲載しているので、石川選手の記録がどれほど突き抜けているのか分かると思います。
今回は、どのくらい過酷なのか想像もできないようなレースを、どのような準備をして走ったのか、イメージできるよういくつか質問しました。
(画像提供:石川佳彦)
<スポンサーリンク>
バッドウォーターについて
(画像提供:石川佳彦)
2016年に100km以上の距離に本格的にチャレンジするようになってから意識していたレースでした。
気温50℃の中を217km、獲得累積標高約4000m。
その過酷さからサポートカー1台とサポートクルー2名以上の帯同が義務づけられているほどです。
わざわざアメリカまで行って中途半端な走りはしたくない、年明けから半年間バッドウォーターに照準を合わせ、徹底的に走り込んで本番を迎えました。
ただ、どれだけ練習を積んで、どれだけ調子が良くても50℃の世界は想像もつかず不安は消えませんでした。しかし、レース3日前にデスバレーに到着してから日ごとに少しずつ暑さに慣れている感覚があり、勝負出来ると思えてきました。
レース展開(序盤)
(画像提供:石川佳彦)
夜11時にレースがスタート。昼間よりは陽が出ていない分、過ごしやすいですが、それでも走り始めて10分ほどで喉の渇きを感じるようになりました。喉が乾いて水が飲みたいというよりも喉が乾燥して息が出来なくなりそうだから水で喉を湿らせたいという表現が適切かもしれません。サポートクルーには基本的に1マイル(約1.6km)に1回、かぶり水と給水を準備してもらい体温上昇と脱水を防ぐようにしていました。
(画像提供:石川佳彦)
夜が明け、暑くなるまでの8時間でいかにレースの主導権を握れるかが鍵だと考えていました。一番怖いのはコースを熟知しているランナーに飛び出される事。差が開いてしまうと追い上げるのにエネルギーを使ってしまいます。暑くなってくれば尚更です。そういう意味では30km手前からトップに立ち、レースをコントロール出来た事は勝つ上でプラスに働いたと思います。
レース展開(中盤)
(画像提供:石川佳彦)
朝7時を過ぎた辺りからじわじわ気温が上がってきました。ただバッドウォーターは標高1500mの上りを三度越えなければならず、標高が高くなれば暑さも少し和らぎます。上りのトレーニングは徹底的にこなしてきたので、上りで後続との差を広げられている手応えはありました。
レース展開(終盤)
(画像提供:石川佳彦)
196km地点。最後の街ローンパイン。ここを過ぎればマウントホイットニー中腹(標高2500m)までひたすら上りが続きます。事前情報では最後の上り21kmを走れる選手はいないと聞いていたので、ローンパインまでの196kmのレースのつもりでペースメイクを考えていました。しかし、残り21kmの上りが始まると案外走れてしまい、結局最後まで歩く事なく走り続けフィニッシュを迎えました。かなりきついラストでしたが、196kmのレースのつもりで前半から積極的に行ったからコースレコードを出せたと思いますし、最後まで歩かず走り続けたから記録を残せたと思います。
<スポンサーリンク>
日差し対策
(画像提供:石川佳彦)
50℃の世界は暑さはもちろん、刺すような日差し、熱風が体力を奪います。またアスファルトからの照り返しで足の脛の部分がヤケドのような状態になってしまいます。
アグレッシブデザインをたっぷり塗り込む事でそのような状態を防ぐ事が出来ました。あとはレース中、ひたすら氷水を足にかけ続けて体の火照りを取りながら走りました。
補給など
(画像提供:石川佳彦)
今回ばかりは水分もアスリチューン・ポケットエナジーの摂取も意識的に減らしました。
理由は、1マイルごとにサポートを受けられるので水をあまり飲み過ぎると胃腸トラブルに繋がると考えていました。ジェルも同じように必要最低限に抑えました。その代わり塩サプリを摂っていましたが、これも少しずつ胃が荒れている感覚があったので減らすようにしました。
最終的には黒砂糖+塩サプリの組み合わせで不快感なく摂取できるようになりました。想像を越す暑さの中、胃腸トラブルを最低限に抑えられ、少しずつエネルギーを蓄えられた事が勝ちに繋がったと考えています。
(注)石川選手はIAU24時間走世界選手権ではアスリチューン・ポケットエナジー30個、エナゲイン10個の合計40個摂取しました。
<スポンサーリンク>
サポートについて
(画像提供:石川佳彦)
今回のレースで義務づけられているサポートクルーには彼女と大阪から林原さん、沖縄から向江さんにお願いして3人体制で挑みました。
彼女にチーフクルーを任せ、全体のコントロールをしてもらいました。必要な物は全て彼女に伝え、林原さん、向江さんは彼女の指示で動くという流れを作ってもらう事で、すごく走りに集中出来ました。この3人がいなければ絶対走れていないですし、優勝なんて考えられなかったです。本当によくサポートしてもらいました。チーム全員で掴んだコースレコードでの優勝でした。
(画像提供:石川佳彦)
また、今回のレースに参加するにあたり色々な面でサポートいただいた岩本さん、根本さん、その他日本チームの皆さん、メーカーさん、関わって下さった全ての皆さんのおかげで無事走り切る事が出来ました。この場をお借りして御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
『最後の上り21kmを走れる選手はいないと聞いていたので、ローンパインまでの196kmのレースのつもりでペースメイクを考えていました。しかし、残り21kmの上りが始まると案外走れてしまい、結局最後まで歩く事なく走り続けフィニッシュを迎えました。』と語っていますが、今回含めて33回の開催でここを走りきったのは石川選手が初めてなのでしょう。
来年以降、この大会を走るウルトラランナーの間で、大会記録だけではなく、最後の21kmを走りきったMonster YOSHIHIKO ISHIKAWAの名は語り継がれることでしょう。
そして、石川選手も話していますが、直接的にレースを支えてくれたサポートクルーや、スタートするまで支えてくれた多くの方々の力を結集した勝利だったのでしょう。おめでとうございます。