11歳の時マラソン大会で意識を失った。

土日に帰省して母や兄弟と飲みながら話しましたが、話の流れで、私が小学校5年時のマラソン大会でゴール後に倒れたと、学校から家に電話があり母親は驚いた。という話が出てきました。

記憶が飛んでる部分があるが、ちょっと書いておこうと思う。


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まず、当時の時代背景を少し書いておくと、少子高齢化の今とは違い子どもが多く、私が通っていた沼田小学校は丙午(ひのえうま)で子どもが少ない私の学年でも4クラスで160人以上いた。他の学年は5クラスだったので学校全体では1,200人の児童がいた。また隣の小学校はさらに多くの児童がいたが、当時は日本中がそんな感じだったのだろう。そして坂道の多い地域だったので放課後や休みの日には時間のある限り外を駆け巡って生まれ育った。そのような環境から足腰の強い子どもが周りにたくさんいた。

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かすかな消毒液の匂いを感じながら目覚めると、白い天井と白いカーテンが見えた。一瞬どこにいるのか分からなかったが、ほどなくそこが保健室だということが分かった。そして校庭の方からざわめきが聞こえてきた。

なぜ、自分が保健室のベッドに寝ているのかは分からなかったが、ポカポカした心地よい空気に包まれながら、ざわめきは声援だと分かり、少しづつ今日はマラソン大会だったことを思い出した。

記憶を辿る。

いつも通りスタートから100m走るのと同じように全力で飛び出し、校庭から外の道路に出る頃には後続を引き離していた。これが当時の勝ちパターンだった。4年生まで1回2位になった以外は全て1位だったから、今回も1位以外はあり得ないし負ける気もしなかった。

先導の先生が運転するバイクについて走ると、先生はペースを上げる。後続との差を考えれば無理に上げる必要はない。仮にラスト勝負になっても負けない自信はあった。ただ先生がバイクのスピードをあげたのが期待のあらわれのように感じたのでペースを上げた。

当時の私は期待に応えようという気持ちが強かった。

小学校に入った時から鬼ごっこをすると友達を簡単に捕まえることができるし、いくらでも逃げ切れた。徐々に自分は脚が速いことに気づき、それが自分のプライドになっていった。4年生の時に市内の小学校児童が競う大会の60mに出て1位になった。その時の100m1位は後に日本記録を作った不破弘樹さんだった。その大会後直後だったか、5年生になった後か記憶が曖昧だが、校内で不破さんと100mを一緒に走り負けたことが非常に悔しかった。ただ彼は長い距離は速くなかったので、校内のマラソン大会では誰にも負けることは出来なかった。それが自分自身の拠り所だった。40年以上前のことだけど、当時11歳の私はそんなことを考えていた。

しばらく先生のバイクについて走るも、徐々に付いて行けなくなった。今考えると明らかなオーバーペースだったのだろう。

そして、4kmコースのおそらく3kmくらいで私は止まってしまい、そこからのことはほとんど覚えてない。

しばらくして何人かに抜かれたのは朧げながら覚えている。そして私の前を走っていくランナーの後ろ姿は今でもぼんやり浮かぶ。

かすかな記憶もそこまでで、校庭のゴールまでどう走ったのか、歩いたのかは全く覚えていない。

そして保健室のベッドで目を覚ましたのだ。

覚えていないがゴールはしたらしい。誰に聞いたか記憶はないが14位だった。今思えば、先生らがゴールするまで止めないということは、意識は飛びながらも足取りはしっかりしていたのかもしれない。もしくは倒れるまで諦めるなという時代だったのかもしれない。

意識を失ったことより、結果がショックだった。大事にしていたプライドが打ち砕かれた瞬間だった。

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その後のことも、また書こうと思うが、子どもが倒れて意識を失った、なんて知らせに両親は驚いただろう。当時の私は負けず嫌いで、先生に言われてするのではなく、負けたくないから練習をした。そして走った後によく吐いた。

当時のことを考えると苦しくなってくる。吐くくらいまで心拍数をあげた練習が苦しかったのではなく、これほど負けず嫌いで、周りの目を気にする性格がいろいろと自分を苦しめた。

最近になっても母親は私に無理するな。そんな頑張らなくても良いという。それは30代の若さで病死した叔父と私が同じような経歴を辿っていたのが理由だと思っていたが、こうして昔を思い出すと、それは小学生高学年くらいからずっと言われていた気がする。またそれまでは大きな期待をかけられていて頑張れと言われていたようにも思う。

私には子どもはいないが、当時の私のような子どもがいたらやはり心配になる。いろいろ心配かけたのだろう。

過去のことは変えられないし、変えたいとも思わない。そのような幼少期を経て今の自分がいるからだ。また今の自分は嫌いじゃない。今回、過去の記憶を辿ったのは自分自身を見つめなおして未来に繋げるため。

持って生まれた性格は変わらないが、生きていくために工夫していく。そして環境に適応していく。



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