トラックを初めて走った40数年前のこと思い出した。

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今日も雨が断続的に降ってましたが、午後2時頃止みそうになったので、近くの競技場に行ってきた。

まさに誰もいない貸切でした。400mトラックにもフィールドにも私以外誰もいない。16時を過ぎると中高生の部活生が集まりますが、この時間帯に走る人はほぼいない。

雨は帽子がなくても気にならない小雨が降ったり止んだり。終わったら家でシャワー浴びるから多少濡れるのは気にならない。ちょっと身体の張りが強いので、試行錯誤しながらじっくりジョグをして、少し刺激を入れて終えることにした。

先日買ったナイキズームXドラゴンフライを履いて40mくらいを何本か流しをしてから、100m流しを2本

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スタートして接地時間を短くして気持ちよく駆け抜ける。

タイムは14秒2

9割くらいの流しでもこのくらいのタイムが出るようになった。ただ10割の流しでもたいして変わらないようにも感じる。。

この感覚であれば200mは失速しないで走れそう。

2本目は400m走る感覚で抑えて流しをすると、16″9とほぼ感覚どおり。

いつものように左尻の張りは流しでは出なかったので、その感覚で400m走ることにした。インコースは濡れていたので、5レーンを選び随分前のスタート位置についた。

カーブが1レーンより緩くなるので走りやすいのだけど距離が掴みにくい。また200mくらいまで少し速すぎたのか、そこから尻にきて徐々に脚が動かなくなってきた。ラスト100mはペースを戻そうという気力もなくとにかくゴールまで移動した。って感じでゴール。

タイムは68秒。

一人で走り中盤から失速して68秒は悪くない。60秒前半では走れそうなので、それは次回のチャレンジ。

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その後、ジョグしながら最終コーナーにくると、不意に40数年前のある場面が脳裏に浮かんできた。

私が初めて400mトラックを走ったのは5年生か6年生の時。生まれ育った沼田市に陸上競技場ができて、その記念大会かなんかだと思うけど市内だけではなく、前橋市など違う市内の小学校も参加する大会だったと思う。同じ小学校からは私含めて1000mに3人くらいの参加だったと思うが、その辺りの記憶はあやふや。

当時の小学校校庭は200mトラックだったので、400mトラックはデカイ!って思った。当時の私は1000mを走るときは200m40秒ペースで走っていたので3’20くらいだと思う。(時計は持っていないので先生が読み上げてくれたのかな?それも記憶なし)

レースは他地域の背の高い小学生何人かがスタートから速いペースで飛び出し、負けず嫌いだった私はそんなペースで走ったこともないのに付いていき、半分くらいで失速し、ヘロヘロで最終コーナーに入った時には既に先頭はゴールしていくのが見えた。そして、負けたことがない同じ小学校の友達に最後の直線で抜かれた時の悔しさも蘇った。記憶はあやふやだが先頭は3分そこそこのタイムで、私はいつものタイムも出せず、なんであんなペースについて行ったのだ!?って悔しくて仕方なかった。なんてことも脳裏に浮かんだ。

そんな昔のことをなぜ思い出したのかは分からないけど、その時の場面とか悔しさとか浮かぶのだから人間って凄いなって思う。

今は54歳。

生まれてから18年沼田市で育ち、それからすでに36年が経つ。沼田を出てからの人生が2倍になってしまった。

子供の頃は1年が凄く長かったのに、社会人になってからは1年が早い。これからはますます1年が短くなるのだろう。

それを思うと、コロナ禍で既に半年が過ぎたが、子どもの半年は私たち世代より濃縮された半年だったはずだ。

勉強やスポーツ、音楽をする機会を失う場が減っただけではなく、様々な友人と接することで社会性を身につけ成長していく場が減ってしまった。もちろん、思うようにいかない場でこそ創意工夫して大きく成長する子どももいるだろうが、多くの子どもはチャレンジして成功・失敗して成長していく。そのチャレンジの場を準備するのは大人の役目だと思う。

ジョグしながら、子どもの頃の自分を思い出したのは、なぜだかは分からないけど、きっと意味はあるのだろう。

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