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ランニングを始めたきっかけや思い出のレースなどを順次紹介します。また超負けず嫌いだった子供の頃のことも紹介していきたいと思います。何かヒントになることがあるかもしれませんし、まったくないかもしれません。随時更新していきます。
私が200キロランナーになったきっかけ
まず第1話として私がランニングを始めたきっかけを紹介します。
一日は誰でも24時間です。これは生まれたばかりの赤ちゃんも人生を終えようとしている老人もお金持ちも無収入の方も同じです。もちろん24時間の長さの感覚や、時間をどれだけ大事に使ってるかは違います。
その24時間の中で市民ランナーは寝て食べて仕事して残った時間でランニング等を行います。仕事が忙しくて残った時間がないなかで走ろうとしたら睡眠時間を削るしかない。そのような環境でも頑張っているランナーはたくさんいます。
そんな24時間に私は205キロ走りました。トレイルには100マイラーという言葉がありますが、ロードとトレイルの違いはありますが100マイルより長い距離を24時間で走ったのです。
ちなみに24時間走の世界記録は303.506キロです。フルマラソンの距離である42.195キロを7回走ると295キロですからフルマラソンを7回走ってさらに8.5キロです。それと比べたら205キロってたいした距離ではないように感じますが40歳になるまでの私を知ってる人なら私が205キロ走ったと知ったら驚くと思います。
自分でもこの10年間の変化には驚いてます。
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マラソン始めたきっかけ
30代の頃はウルトラマラソンどころかフルマラソンを完走できるとも思っていなかった。と言うよりフルマラソンは特殊な世界のことだと思っていました。
そんな私が40才で初めてフルマラソンにチャレンジして4時間56分で完走しました。
ゴールした時
苦しかった。
悔しかった。
嬉しかった。
様々な感情が入り乱れました。
ただこのフルマラソンが私のランニング人生のスタートではないのです。10キロどころか1キロ走るのも大変な時期もあったのです。その頃のことは今までほとんど書いてないのでなぜ走るようになったのかを紹介します。
『私は太らない体質だと思っていました。』
そんな私が大学からずっと暮らしていた東京を初めて離れることになったのは12年前の2003年4月です。
年齢は36才。行き先は名古屋。
その名古屋ではお酒を飲む機会が多く、また移動は自分専用の社有車があったのでほとんど歩かない生活になりました。社有車の中ではいろいろ食べながら移動していましたし、運動と言えばゴルフくらいだったので太らないはずの私がみるみるうちに太り始めました。
しかし当時の私は40歳を目前にしたら誰でも太るのだから仕方がないと思っていました。
秋の健康診断で脂肪肝の疑いがあると診断され再検査を受けました。結果は問題なしでしたが、その他の数値を含めて健康状態は急激に悪化していきました。いわゆる生活習慣病まっしぐらの状態でした。それでも私は生活を変えませんでした。
ほとんど運動しないで飲んでるのだから痩せるわけがない。ある時、姿見に映った自分の身体が前から見ても横から見てもあまり変わらないのはショックでした。この頃の体重は67キロでウエストは84センチ。筋肉の上に脂肪が乗ったプロレスラーのような身体になってしまっていた。名古屋に行く前の私は体重58キロでウエストは72センチくらいだったことを考えると驚くほど急激な変化でした。
後輩の結婚式に行ったときに久しぶりに礼服を着たらキツくて大変でした。
ほんと情けない頃。
呆れるくらいに自己管理が出来ていませんでした。
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そんな私に転機が訪れたのは名古屋に着任して一年後の2004年4月でした。
健康診断の結果にも、みるみる太っていく自分に気付いても何もしなかった私が変わる大きなきっかけがあったのです。それは隣の課に本社から仕事ができると評判の一期下のT君が来ることになったのです。彼とはそれまで面識はなかったけど赴任してきた彼を見て驚きました。長身で引き締まった身体に端正な顔立ち。そして自信に満ち溢れた目。部の女性の目がハートになっていました。私はそんな目で見られたことは人生の中で一度としてなかったので凄く羨ましいと思った。仕事もよく出来たし性格もサッパリしていて上司や後輩の人望も厚かった。
大学時代はアメフトをしていて、着任した頃はサーフィンやスノボ、野球、サッカー、ゴルフなんでも上手かった。そんな彼に私はいつしかライバル心を抱き始めました。もちろん当時はメタボまっしぐらの冴えない私がそんなことを周りに話したら笑われるので誰にも話していません。彼とは役職も年代もほぼ同じであったので切磋琢磨していました。
その年の秋に部内ゴルフコンペがありその時が転機となりました。彼とはゴルフの実力は歴然だからもちろん負けたとが転機はそんなことではありません。
プレーが終わり風呂に入ったあと洗面台に私と彼が並んだ。
その時
彼の引き締まった身体と弛んだ私の身体が鏡に並んで映ったのです。それを見て私は衝撃を受けました。今までは40才間近だから体型が弛んでくるのは仕方がないと思っていた。ただ同年代の彼はまるで違う身体でした。この時、年齢は関係ない。年齢を言い訳にしてはいけない。と思ったのです。もちろん身長は伸びないし顔だって変わらないけど身体を引き締めることはできる。
その時、意識が劇的に変わりました。
そしてスポーツクラブに通うことにしたのです。
スポーツクラブには大学時代にも30才頃にも入ったことはあるけどつまらなくてほとんどいかなかった。当時は目的意識がなかったから続かなかったのです。その時も続くのか自信はなかったけど、健康のために痩せようって気持ちよりも、ゴルフ場での悔しさから、まずは昔の体型に戻そうという気持ちが強かったのを覚えています。コナミスポーツを選んだのは会社が法人契約をしていたので少し月会費が安かったという理由だけでした。
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最初はマシンを使ってトレーニングをしていたけどキツいだけで全然面白くなかった。スポーツジムには知り合いはいないのでほとんど会話をすることもなかった。スポーツジムに知り合いがいないというより名古屋には会社関係の知り合いしかいなかったという方が正しいくらい交友関係が狭かった頃です。マシントレーニングに飽きた時にスタジオを見たらみんなが楽しそうに踊っていました。難しそうだったけどやってみました。最初はローインパクトエアロだったか簡単なレッスンを選んで試したら汗がたっぷり出てきてなんだかとても楽しかった。それをきっかけにプログラムメニューを見て面白そうなレッスンに参加するようになりました。そして始めたレスミルズプログラムが楽しくて、コナミスポーツに行くのが楽しくて仕方なくなってきました。仕事が終わってからの夜や週末もほとんど行っていました。仕事が終わってからスポーツクラブに行くことで飲みに行く回数は激減しました。
生活習慣が大きく変わり、数ヵ月経過した時には身体は昔に戻っていました。身体が変わってくるとさらにやる気が出てきて徐々に引き締まった身体になっていきました。
スポーツクラブに入って一年が経ったころ会社やスポーツクラブで名古屋シティハーフマラソンを走るというの話が聞こえてきました。そんな話を聞いて身体も引き締まってきたし、どのくらいで走れるか試してみようと10キロにエントリーしました。制限時間は65分だったと思う。10キロなんて高校のマラソン大会でも走ったかどうかの距離なので実質未知の距離でした。また65分という制限時間が厳しいのかどうかさえ分からなかった。
エントリーしてからはスタジオレッスンだけではなく少しトレッドミルをしたり、夜間に近所を5キロくらい走ったりした。5キロなら何とか走れるがレースはその倍の距離だから不安はありました。
そしてレース当日になった。シューズはスポーツクラブで使っているナイキのエアマックスだったと思う。ソールが分厚いシューズです。そしてレースが始まり何を考えてたのかスタートダッシュをして2キロくらいではかなり先頭を走っていました。さすがにこれではゴールできないとペースを落としたけど6キロくらいでお腹は痛くなるしキツくて歩きたくなってきました。その時、私の脳裏に中学時代のマラソン大会が浮かんできました。ゴールまであと少しなのになぜか歩いてしまい挫折感を味わった時のことです。この時なぜ歩いたのかよく覚えていないけど大人になってもたまに思い出す嫌な思い出でした。ここで歩いたら子どもの頃とまったく一緒と思ったら再び挫折感を味わいたくない。子どもの頃の借りを返したい。という気持ちになり必死にゴールを目指しゴールしました。
タイムは48分台とレース前の予想を遥かに上回るタイムでした。タイムより苦しくなった時に諦めなかった自分が嬉しかったのを今でも覚えています。中学時代の忘れ物が戻ってきたような不思議な気持ちでした。
ただこのレースをきっかけにランニングを始めたわけではありません。マラソン大会に出たのはスポーツクラブで頑張ってきた自分を客観的に見たかっただけだったのです。それからまたスタジオレッスンに明け暮れる日々となりました。
その三年後に私は100キロマラソンを完走し、そのさらに二年後に24時間走で205キロを走りました。
きっかけはひとつではありません。
いろいろなきっかけがありました。
気付くべき時に気付かねば何も変わらなかった。
また気付いても変わりたいと思わなければ何も変わらなかった。
変わりたいと思っても行動を起こさなければ何も変わらなかった。
行動を起こせば失敗しても何かを掴めるのです。
今の自分がベストとは思いません。
もっと良い選択肢があったかもしれません。でもそんな変えられないことを考えても仕方ありません。
だから私は今が一番幸せだと思ってます。
数多くの選択を繰り返したその結果が今の私だからです。