ウルトラランナー紹介
井上慎吾(SHINGO INOUE)
プロフィール
ultra runner 井上真悟(いのうえしんご) 1980年 東京生まれ。
Running Project ALIVE 個人事業主・コアランニングスクール / ランニング講師、雑誌「月刊ランナーズ」ウルトラマラソンチャレンジ企画コーチ、2016年冬 台湾国内にて著書2冊出版の予定あり。
父の他界を機に挑んだ通称”世界一過酷なマラソン大会” サハラ砂漠マラソンで2年連続日本人1位の実績を残す。その後、埼玉県のジュニアランニングクラブの子供たちとの出逢いをきっかけにランニングコーチを始める。日本全国の児童養護施設へ走って訪れ、施設児童にサハラ砂漠のお話しをする活動を通して北海道縦断往復1088km,東京-鹿児島1500km,東京-青森800km走破(2007〜2008) 出逢った全ての子供たちを喜ばせたいと思い、当時20代で挑戦するランナーの少なかった「24時間走競技」に焦点を絞った競技活動に取り組む。
29歳時、“伝説のウルトラランナー”スコット・ジュレクを破り、24時間走史上最年少での世界タイトルを獲得。30歳の誕生日に個人事業「Running Project ALIVE」を立てあげる。児童養護施設就学支援「カナエールコンテスト」アンバサダーに就任(2011年)
他のランニングコーチにはないアスリート実績が認められ、雑誌「月刊ランナーズ」ウルトラマラソン企画コーチを担当(2015年)。東海道UM駅伝 アンバサダー就任(2016年)
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主な戦績
大会名 開催年 | 距離等 | タイム | 結果 |
---|---|---|---|
2016年5月1日現在 | |||
サハラ砂漠マラソン 2006年、2007年 |
2年連続日本人1位 | ||
スパルタスロン 2006年 |
246km | 9位 | |
日本縦断522km走 2007年 |
522km | 大会最年少完走記録更新 | |
神宮外苑24時間チャレンジ(24時間走競技国内代表選考会) 2009年 |
24時間走 | 258.801km | 優勝(大会新記録) |
IUA24時間走競技世界選手権 2010年 |
24時間走 | 273.708km | 優勝(2010年世界ランキング1位・アジア新記録・世界大会最年少優勝) |
サロマ湖ウルトラマラソン(100km走競技国内代表選考会) 2011年 |
100km | 7:02:05 | 8位入賞 |
100キロマラソン世界選手権 2011年 |
100km | 7:47:35 | 40位 団体戦準優勝 |
台湾一周1100km走 2013年 |
1100km | 優勝(大会新記録) | |
台湾横断246km走 2016年 |
246km | 優勝(大会新記録) |
自己ベスト
種目 | 記録 | 大会名 | 開催年 |
---|---|---|---|
2016年5月1日現在 | |||
ハーフマラソン | 1時間10分57秒 | 赤羽ハーフ | 2010年 |
マラソン | 2時間29分12秒 | 勝田全国マラソン | 2013年 |
100キロ | 7時間02分05秒 | サロマ湖100キロウルトラマラソン | 2011年 |
24時間走 | 273.708km | IUA24時間走競技世界選手権 | 2010年 |
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ウルトラマラソンの魅力
ウルトラマラソンは旅であり、対話だと思います。
4月に優勝した台湾横断246kmウルトラマラソンは累積高低差10000mという日本国内に類を見ないアップダウンの苦しいレースでしたが、登り切った標高3240mの最高地点からの景観は、過去のどのレースとも違う新鮮な感動を味わうことができました。
また、不眠不休で過酷なコースへ挑むことは自分の内心を深掘りするだけでなく、競いあうライバルとも言語を越えて、認めあえる究極のコミュニケーションだと思っています。
目標達成に向けて大切なこと
「私は、現在アスリート活動で得た考え方をランニングコーチとして市民ランナーの方々に指導しています。そのなかで大切なことはランニングとマラソンの違いについて。健康のためのランニングは積み重ねで成り立ちますが、目標達成のためのマラソンとはゴールからの逆算です。 マラソン本番までの練習の組み立てや考え方が身につくことはきっと生活や仕事にも応用でき、毎日のランニングライフがもっと味わい深いものになると思っています。そこをランニングコーチとして伝えてゆきます。」
「また、目標達成に向けて大切なことは、その都度自分の本心と向きあう気持ちと、今のままでは目標達成できないという危機感です。誰しもが、現状をつい甘く見てしまいがちですが、危機感を持ち、いま何をすべきかを考えることがモチベーションを高い水準ですキープするために大切です。」
自分の夢
正月の風物詩というべき、箱根駅伝は、金栗四三氏が、アメリカ大陸の継走での横断を実施するための代表選考会という位置付けで、1920年2月14日にスタートしました。しかし1世紀が経とうとしている現在においても、アメリカ大陸横断駅伝は未だ実現していません。それを、箱根駅伝開始から100年後の2020年に自分が成し遂げたい。これが12年間追い続けてきた自分の目標です。
1区間250キロ走れる世界のトップウルトラランナーが自分を含めて20人集まり、襷を繋ぎあえれば驚くような記録を打ち立てられる可能性があります。また、極寒の地から、砂漠地帯までアメリカ大陸の様々な過酷な環境を克服できる仲間を得るために自分は、これから砂漠のレースや極寒地でのレースへも再び挑戦します。そして、アメリカ大陸横断駅伝という夢を発信してゆき、賛同してくれる仲間を集めてみせます。
また、これらの呼びかけは自分がもう一度世界のトップに返り咲かなければ説得力がないと思っています。そのためにイアニスクーロスの持つ24時間走世界記録へも挑戦します。そして、5000キロにも及ぶアメリカ横断駅伝が一過性のもので終わってしまっては何も意味はありません。ただ走るだけではなく、この挑戦をとおして200kmを超えるウルトラマラソンの新しい見せ方を模索したい。そのためにもランニング講師としてより多くの市民ランナーの方々とつながり、ソーシャルネットワークを通して多くの方と共有しあえるひとつのプロジェクトにしてゆきたいと考えています。
99年前に金栗四三さんらが成し遂げられなかった夢の襷を自分たち今の時代のウルトラランナーが受けて、それを子供達に繋げたい。世代や国を越えた襷、そして絆を。
現在の井上真悟の活動についてはこちらをご参照ください。