国際ランナー紹介
伊藤 あんな(Anna Ito)
プロフィール
父親の海外赴任により4才の時にアメリカに渡りアメリカの大学を卒業した帰国子女。シカゴの大学在学中に日本の大学に1年間逆留学したことで日本が好きになり、大学卒業後は日本に戻り現在に至る。デビュー戦となった東京マラソンは4時間58分であったが数年かけて国際ランナーとなった。また第1回東京・柴又100Kではサブ10で6位入賞を果たした。
伊藤あんなのランニング人生については
『 ランニングタウン 輝く女性ランナー 』
に掲載しているので是非お読みいただきたい。
以下一部抜粋です。
16 歳の時に再び渡米し、伊藤(敬称略)はシカゴで2年間高校生活を送ったが、その間はランニングどころか運動をまったくしなかった。その時にタバコを吸い始め(シカゴで は喫煙は法律的に問題ない)、ジャンクフードばかり食べていたので太り始めてしまった。だが、その時は周りのみんなはもっと大きいのですっかり安心していたという。
初フルマラソンを思い出し、彼女は笑いながらこう語った。
「とにかく完走できれば良いと思いました。とても寒かったし、故障していた脚は痛いし、もの凄く辛かったです。でも絶対に歩きたくはなかったので、ゆっくりだけどゴールを目指しました。そして、ゴールして完走メダルを掛けてもらったのも、どうやって自力で帰宅したかも意識朦朧としていてよく覚えていません。当たり前ながら、その後は当分走りたくないと思いました。」
「それまで自分は膝下からしか走っていないと気づかされ、衝撃的だった。ハイテクスポーツ塾で初めて骨盤を動かしながら体幹を使って走ることを学び、ランニングの奥深さを知った。」
「レース前に友人から、大田原マラソンは後半登るから前半貯金を作って食いつぶせと言われていたので、序盤は少し速めに入って中盤からの上りはペースダウンを最小限に抑えるように耐えました。競技場に入ったところ、知り合いが立っていて大きな声で『切れるよ!!』って言われて、半べそをかきながらゴールまで最後の力を振り絞ってダッシュしました。」
「ランニングを通して、自分はストイックだと気付いた。徹夜で仕事したりして疲れているのに、週末に20キロ走とかするのですから。練習会で20キロ走とかした後に、そのまま10キロ続けて走ったりもする。なぜ頑張れるかというと、走ることは自分にとって自信だからです。最初は出来なくても、頑張ればできるようになることを経験したからです。」
(インタビュー・文章 新澤英典)
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主なレース結果
大会名 開催日 | 距離等 | タイム | 結果 |
---|---|---|---|
2015年6月30日現在 | |||
横浜国際女子マラソン 2014.11.16 |
マラソン | 3:11:41 | 180位 |
軽井沢リゾートマラソン 2014.11.16 |
ハーフ | 1:31:37 | 2位 |
名古屋ウイメンズマラソン 2014.3.9 |
マラソン | 3:08:25 | 189位 |
東京・柴又100K 2013.6.1 |
100km | 9:44:44 | 6位 |
別海パイロットマラソン 2012.10.7 |
マラソン | 3:12:15 | 3位 |
大田原マラソン 2011.11.23 |
マラソン | 3:13:59 | 36位 |
自己ベスト
種目 | 記録 | 大会名 | 開催年 |
---|---|---|---|
2015年6月30日現在 | |||
ハーフマラソン | 1時間31分37秒 | 軽井沢リゾートマラソン | 2014年 |
マラソン | 3時間08分25秒 | 名古屋ウイメンズマラソン | 2014年 |
100キロ | 9時間44分44秒 | 東京・柴又100K | 2013年 |
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走り始めたきっかけ
アメリカの大学を卒業し、日本の会社に入社してまず感じたのは自分が太っているということ。アメリカではまったく気にしなかったが、さすがにまずいと思ってスポーツジムへ通いました。最初はトレッドミルで走っていたが、スタジオで楽しそうに踊っている人を見ているうちに、私もやりたくなり始めたら楽しくてエアロビクスに嵌ってしまった。
エアロビクスに熱中することで体が引き締まってきた頃に、会社の仲間に誘われて皇居で開催された5キロレースへ参加しました。初めて走る皇居なので距離感がよく分からずとても長く感ましたが、一生懸命走ったところ22分22秒で3位入賞したので驚きました。
たいした練習もしていないのに意外に走れたから、フルマラソンも走れるだろうと甘く考えて東京マラソンにエントリーしました。もう大変な目にあいました。
国際資格を得る前の練習について
ランニングを始めてしばらくして入会したハイテク塾や、アミノバイタルAC(現在のプーマRC)で継続して練習していました。3時間30分を切った頃から世界陸上を走った岡本治子コーチについて練習メニューを作ってもらうようになりました。
当時は仕事で深夜になることもありましたが平日は時間を見つけてインターバルなどのスピード練習をして、週末に30キロ走などしました。
私はランニングを通して、自分はストイックだと気付きました。徹夜で仕事して疲れているのに、週末に20キロ走とかするのですから。また練習会で20キロ走とかした後に、そのまま10キロ続けて走って30キロ走にしたり忙しいを理由にしないで頑張りました。なぜ頑張れるかというと、走ることは自分にとって自信だからです。最初は出来なくても、頑張ればできるようになることを経験したからです。
3時間15分を切ったレースについて
レー ス前に友人から、大田原マラソンのコースは後半登るから前半貯金を作って食いつぶせと言われていたので、序盤は少し速めに入って中盤からの上りはペースダウンを最小限に抑えるように耐えました。競技場に入ったところ、知り合いが立っていて大きな声で『切れるよ!!』って言われて、半べそをかきながらゴールまで最後の力を振り絞ってダッシュしました。
タイム 3時間13分59秒
【10キロごとラップタイム】
44'54
45'36
45'52
47'09
10'28
ハーフ通過タイム 1時間35分23秒
自分にとっての国際女子マラソン(エリートレース)とは
国際マラソンというのは、選ばれた人たちしか出られない特別な舞台。つまり、私にとってずっと夢でした。だから国際レースに出られるようになった今は夢を見ている気分です。でも、出られることに対して誇りを感じているので、これからも頑張って出続けたいです。やはり、自信につながります。
また最後の横浜女子国際マラソンを走れたことは大事な思い出です。
ただ、レース前に故障し万全の状態で走れないのがすごく残念でした。ただ、スタートラインに立って10キロ関門まででも走り、最後の横浜国際の雰囲気を味わって楽しんでこようと思ってスタートしましたが、10キロ関門どころか、3時間11分41秒のセカンドベストでゴールできてしまいました。
おそらく国際大会特有の緊張感ある雰囲気でアドレナリンが出たのでしょう。また仲間の応援も力になりました。ランニング仲間、会社の同僚、トレーナーさん、家族が皆応援に来てくれて、沢山パワーを貰いました!
走ることで変わったこと
ランニングを始めて、変わったのは生活です。それまでは、金曜日は徹夜して遊んで週末は寝るという生活でしたが、ランニングをはじめてからは土日のポイント練習のために金曜日は早く寝る、とまったく変わりました。お酒は今も好きだけど量は減りました。また食事も変わってきました。以前はジャンクフードが大好きでしたが、今はなるべく栄養を考えたメニューを選ぶようになりました。
そして、生活が変わったことで身体にも自信を持てるようになりました。
一番変わったのは他の人に勝てること、得意なことを見つけることができたことで新しい世界が見えてきたのです。私にとって【ランニング=自信】なのです。
今後の目標
次は3時間5分を切りたいです。そしてサブスリーを狙いたい。今は夢の夢だけど夢のままで終わらせたくないです。サブスリーを達成したらサロマ湖100kmウルトラマラソンに出てみたいかな。ウルトラマラソンはそれまでお預けにします。
また、走る喜びを多くの人に伝えたいです。
自分が変わることができたのもランニングをしたからなので、今度はそれを伝えていきたいのです。
将来はランニングを子どもに教えるのも夢ですし、そんな風にずっとマラソンと関わっていたい。感動ももらえるし自分を熱く感じられます。
私が国際ランナーになれたのは私の力だけではなく、たくさんの人との関わりによって自分自身が成長できたからです。そして、いつも私の我がままを聞いてくれる家族にはいつも感謝してます。
お気に入り情報
アスリチューンを飲むと練習後の疲労感が違います。