ウルトラランナー紹介
重見 高好(Takayoshi Shigemi)
プロフィール
プロランナー 1982年6月8日生まれ 愛知県岡崎市出身 24時間走日本代表 学生時代から陸上に打ち込み実業団ランナーとして活躍後、世界一になれるステージとしてウルトラマラソン(100km)に出会い、その後、24時間走や極地マラソンなど過酷なレースで活躍している。 現在、売木村地域おこし協力隊として村おこしの活動をしながら世界のトップを目指している。
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主な戦績
大会名 開催年 | 距離等 | タイム | 結果 |
---|---|---|---|
2015年6月30日現在 | |||
The Big Five Marathon 極地マラソン (南アフリカ サバンナ) 2015年 |
42.195km 最大斜度40度 | 3:24:52 | 優勝 (歴代3位) |
第11回 24時間走世界選手権(イタリア・トリノ) 2015年 |
24時間走 | 192.332km | 101位 |
タイ・チェンマイ12時間走 2014.11.1〜2 |
12時間走 | 136.9km | 優勝 |
サロマ湖100キロウルトラマラソン 2014年 |
100km | 7:00:41 | 6位 |
宮古島ワイド - マラソン 2014年 |
100km | 7:09:18 | 優勝 |
神宮外苑24時間チャレンジマラソン 2013年 |
24時間走 | 269.225km | 優勝 (国内最高記録) |
白山・白川郷100kmウルトラマラソン 2013年 |
100km | 7:41:35 | 優勝 (大会記録) |
サロマ湖100キロウルトラマラソン 2013年 |
100km | 6:41:44 | 2位 (世界ランキング4位) |
伊豆大島ウルトラランニング 2013年 |
58km | 3:50:18 | 優勝 (大会記録) |
サロマ湖100キロウルトラマラソン 2012年 |
100km | 6:43:55 | 3位 (世界ランキング6位) |
自己ベスト
種目 | 記録 | 大会名 | 開催日 |
---|---|---|---|
2015年6月30日現在 | |||
5000m | 14'03"98 | 金栗記念 | 2008.4.5 |
10000m | 28'59"06 | 日体大記録会 | 2007.12.22 |
ハーフマラソン | 1時間03分42秒 | 実業団ハーフ | 2005.3.13 |
マラソン | 2時間18分31秒 | びわ湖毎日マラソン | 2009.3.1 |
100キロ | 6時間41分44秒 | サロマ湖100キロ | 2013.6.30 |
24時間走 | 269.225km | 神宮外苑24時間チャレンジ | 2013. 11.9-10 |
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なぜ走り始めたのか?
重見選手(以下敬称略)は中学の部活動から陸上競技を始めた。その理由は当時の岡崎市は帰宅部は認められず全員が部活に入る規則になっていた。野球やサッカーなどの部活に入りたいと思っていた重見であったが家の経済状況が厳しく、道具を購入することができないため、お金のかからないスポーツということで陸上部を選んだという。
陸上部に入部後、重見は本格的な陸上シューズを買うことができず普通の運動靴で走り、先輩が捨てた靴を履いたりしたともいう。そんな経験があったから今でもシューズは大事にしているという。
最初は短距離選手であった重見であるが先輩に勝てなかったので、悔しくて部活が終わった後、毎日10キロ走るようになると、秋には校内大会で学年トップになり、次の日から長距離に転向したという。その後ジュニアオリンピック(1500m)2位、千葉国際クロスカントリー大会優勝など中学陸上界のトップへと上り詰めた。そして特待生で高校進学した重見は高校陸上界でもトップになるべく部活に打ち込みたかったが、経済的状況から余儀なくバイトをしたという。授業料等は免除であったが、通学費、合宿などの活動費は自分で稼がねばならなかったのである。
重見はバイトをしながら練習に打ち込んだが、学校から特待生はバイト禁止と言われたが活動費のためにバイトしているとは恥ずかしくて言えずバイトを続けたところ、反省がないと授業料免除等が打ち切られて中退したという。
当時のことを重見はこう語った。『中退してからは、中華料理屋で働き、中華料理の鉄人を目指そうと頑張りました。料理を作るのは楽しかったし、店主から好きなものを好きなだけ食べて良いと言われたが嬉しくて、たくさん食べていました。』
そんな重見に転機は訪れた。
『鏡に映ったブクブクに太った自分を見て驚きました。また高校を中退してから自分に近寄ってくるのはヤンキーや暴走族、タバコやシンナーを吸っているような人ばかりで、このままではダメだと思いました。そして通信制高校に入学し再び走りはじめたのです。』
そう語った重見は、その後、高校および実業団で活躍するランナーに駆け上がった。
ウルトラを始めたきっかけ
実業団ランナーとして活躍したのち引退した重見は、慣れないスーツを着て頑張っていた。仕事はきつかったけど面白かったし、アフタ−5も楽しかったので毎日のように飲んで食べていたという。ふと鏡をみて太った自分がそこに映っていて愕然としたという。
その頃のことを重見はこう語った。
『どこかで見た光景でした。そう高校中退した頃のことです。』
そして重見は家に残っていたシューズを見てると、外を走りたくなり、武庫川の河川敷を走りにいったという。
『苦しかったし、血の味がしたけど楽しく爽快感がありました。』
しかし中学時代から競技者として走っていた重見は趣味で走るのは嫌だった。走るからには競技者として走りたいと考えた。しかしフルマラソンでは100回走っても絶対に勝てない。走るからには勝ちたいと考えていた重見は、ウルトラマラソンという競技があり世界大会も開催されていることを知ったのである。
重見は『時速20キロのフルマラソンでは勝てなくても、時速15キロのウルトラマラソンなら勝てるかもしれない。』と思ったのです。
『燃えました!!』
それからの重見は走ることばかり考えていたという。ただウルトラマラソンやるには時間が全く足りない。当時のことを重見はこう話した。
『2012年のサロマで6位入賞して、世界大会へと考え始めたら、仕事が全く手につかず、人生は1回だからと仕事を辞めました。それから本格的に始動しました。』
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売木村との出会いと初めてのウルトラマラソン
『実業団目線でサロマ湖を狙うには高地トレーニングが必要と考えました。しかし菅平などは実業団ランナーも多くやめた人間としては後ろめたい。誰一人の力も借りずに一人で頑張りレースを走りたいと考えました。そこで愛知県最高峰の茶臼山で走ることにしました。そして愛知県と反対側の麓に下りた場所が売木村だったのです。
4つの山に囲まれ中心部は平地で信号は一つしかない。天然温泉もあり、清流でアイシングもできる。そして誰も走るために踏み込んでいないのが当時の自分としては魅力でした。
ここで合宿をやろうと考え、温泉横のペンションにお願いし、20日間で20,000円の破格の金額で、6月上旬からサロマ湖ギリギリまで合宿をさせてもらいました。』
そこでたっぷり走り込んだ重見は、サロマ湖ウルトラマラソンを6時間43分55秒で走り3位入賞を果たした。
しかしその年の100キロ世界選手権は既に4月に開催されていたため、日本代表選考会ではなかったのだ。
『仕事止めて世界を目指したのに悔しかったです。』と重見は当時を振り返った。そしてゴールしたら踝を骨折していたことに気づき痛みだけが残ったという。
『そんな自分に妻が2013年世界大会に向けてもう1回頑張ろうと言ってくれました。』
しかし1年間頑張って挑んだ2013年大会で重見は、6時間41分44秒と前年タイムを上回るタイムで走り2位に入ったが、大会前日に世界選手権が開催されないことが決まった。
24時間走で世界を狙う
2年連続してサロマ湖で表彰台に立ったのに、世界選手権に行けなかった重見は、24時間走で世界を目指すべく、その年の神宮外苑24時間チャレンジにエントリーした。
そして、初めて挑戦する24時間の戦いに向け、長時間走り続けるなどの練習を行い、11月9日にスタートラインに立った。
24時間走ると言うと、チャリティー番組で芸能人が走るのをイメージされる方は多い。
しかしほとんどの芸能人がチャレンジする距離は100kmであるが、100kmであれば重見選手をはじめとするトップ選手は6時間台で走りきってしまう。
大会当日は参加者レベルも非常に高く、序盤からハイペースの争いになったが、重見選手が269.225kmを走り初出場で優勝を飾った。この記録は従来の国内大会における最高記録である258.801kmを10km以上更新し、2013年の世界ランキング2位となる好記録であった。
そして重見選手は2014年に開催される予定であった、IAU 24時間走世界選手権台北大会の日本代表に選出されたが、現地自治体および大会組織委員会の都合により中止となった。
重見の日本代表として世界大会を走るという夢はことごとく打ち砕かれていく。
しかし、2013年の神宮外苑24時間チャレンジの記録が評価され、2015年 IAU 24時間走世界選手権(4月11-12日、イタリア・トリノ)に選出され、ようやく日の丸をつけて走るという夢がかなったが、体調不良により力を発揮できず、101位 192.332kmという結果に終わった。
重見はレース後こう語っている。
イタリアに着き、体調を崩し、病院に行くなどし、自分の体調管理ができなかったこと、自分の不甲斐なさが悔しいです。この大会で御協力、御支援して下さった皆様、売木村の方、大会に携わって下さった方には、感謝の気持ちと申し訳なさで一杯です。この無念を忘れずに、また1から頑張っていきます。
ウルギ絶景マラニック
2015年10月11日に、累積標高1,200mを超えるハードなコースをウルトラランナー重見選手がプロデュースした『ウルギ絶景マラニック』が開催されます。
タフなコース、峠を上りきった時は素敵な景色と精を尽くしたあたたかいおもてなしが待っています!
詳しくは下記をご参照ください。
今後の目標など
これからは 9月にギリシャで開催されるスパルタスロンで上位目標に頑張るとともに、12月に開催される神宮外苑24時間チャレンジで優勝し、再び日本代表になり自分の全てを出し切ってきたいです。
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