ウルトラセミナー参加者 サロマ湖100km完走記 六波羅美幸(前編)

サロマ湖

日本最高峰の100キロマラソンであるサロマ湖100kmウルトラマラソンで、未知の距離である100キロにチャレンジし、完走するためにウルトラセミナーの参加した六波羅美幸さんが、12時間36分48秒で完走しました。その完走記を読んだところ、私のアドバイスだけではなく、レース中にしっかり状況判断したことなどが盛り込まれていて、来年以降、完走を目指すランナーにとって参考になる内容だと思い、コース画像や私のアドバイスを加えて記事にしました。

私はサロマ湖を5回走ってワーストタイムは9時間25分台です。ウルトラセミナーでは完走に必要なことをデータに基づいて説明をしていますが、実際に13時間近くかけてサロマ湖を走ったことはありません。そのペース、時間で走らねば分からないことはたくさんありますので、今後もこのような記事を作っていこうと思います。

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《プロローグ・エントリー〜スタート》

体調不良から一旦は旅程をキャンセルした

サロマ湖

クリック合戦は秒速で繋がった。憧れの名門レース。ご縁があるのだと勝手に盛り上がる。初の100㎞に武者震いする。トレーニングは4月初旬から始まったが、開始直後からの1週間と6月初旬からの2週間を、体調不良で棒に振った。特に6月の不調は危機的だった。リンパが腫れ、高熱が1週間下がらない。医師は1日3回服用の解熱剤を2週間分も処方した。そして検査の予約。もうダメだ。コーチにレース断念を申し出た。旅程をキャンセルした。

鬱々と日々をやり過ごすうちに、熱は下がった。まだ2週間ある。50㎞走も終えている。自問自答を繰り返す。諦めるのか。行くのか。翌朝、居ても立ってもいられず、早朝に目覚めてしまった。エアを確保し、コーチにトレーニング再開を依頼した。とにかく行こう。スタートラインに立とう。

悲観的に準備して、楽観的に対処せよ

道東の気象は気紛れだ。30℃超えの報告におののき、雨予報に肝を冷やす。ウェアは低温・高温・雨の3パターンを想定して用意した。胃袋の弱さが私の弱みだ。相手は100㎞、何が食べたくなるのか想像もつかないし、エイドに食べたいものが残っている保障などない。考えうる補食を詰め込むうちに、ザックはどんどん重くなった。悲観的に準備して、楽観的に対処せよ。そう言ったのは、あさま山荘事件解決の立役者、佐々淳行氏だったか。レース週の月曜日、頸部エコー検査。木曜の診察でGOサインが出た。良かった。これでサロマに行ける。

荷物でパンパンに膨れた65Lのザックをもって

サロマ湖

レース前日、旭川空港は雨。先に待ち構えた仲間は、荷物でパンパンに膨れた65Lのザックを背にヨロヨロ歩く私を見て、目を丸くした。ゼッケン受け取りの為に紋別へ向かう。会場には静かな緊張感と、控え目だけれど暖かな地元の人々の歓迎と名産品。補食は沢山持ってきたのに、つい買い足していると仲間に呼ばれた。ゴールする自分へのメッセージを書くと読み上げてくれると教えてくれる。ちょっと考えて、短くてシンプルな文章を書き込んだ。

受付を終え、サロマ湖へ。コース上にある展望台に上がってみる。右はサロマ湖、左はオホーツク海だ。風雨は時折激しさを増しながら続く。翌日も雨予報だ。暑いよりマシだよと隊長。明日の天気はお任せください。私はレースが始まると雨が止むという、伝説の雨上がりオンナですから!

神話崩壊か?!

サロマ湖

翌朝は2時起床。2時に就寝することはしばしばあるが、起きるのは初めてだ。

ホテルで用意してくれた朝食は、たんぱく質のおかず4種と、おにぎり2個、バナナ、オレンジジュース、チーズとクラッカー。とても食べきれない。ひとまず、たんぱく質だけ部屋で詰め込み、おにぎりは車内で食べることにする。バナナ以下はレース後になりそうだ。道東の朝は早い。3時頃には既に空が白んで来るのには驚いた。殆ど信号機のない直線道路を急ぐ。

会場に到着し、レストステーション用、フィニッシュ用の2種のバッグを預ける。

いよいよだ。スタートライン、雨は降っていない。雨上がりオンナの実力を思い知ったか。 …と思ったレース3分前、大粒の雨がキャップに打ちつける。神話崩壊か?!

そして、長い戦いが始まった。

5時ちょうど、静かな熱気とともにレーススタート。ロスタイム 1分36秒。ゲートをくぐり、無事スタートできたことに感謝する。長い1日が始まる。

”︎本サイトより読者へアドバイス”

今回の六波羅さんは様々な気象条件に対応できるようにと、65Lのザックがパンパンになるくらいアイテムを持っての遠征になりました。天気は気まぐれです。実際、大会当時は冷たい雨に晒され、寒さに震えるレースになりましたが、レース翌日は痛いほどの日差しと暑さになりました。もしかするとレース当日、このような暑さとの勝負になったかもしれません。

気象条件に対応したアイテムでスタートすれば、それだけストレスなくレースができますし、対応できなければ完走も危うくなります。その点では、六波羅さんはしっかり準備して向かったわけです。

しかし車での移動であれば重たくても持っていけるものはすべて持っていくのは良いことですが、飛行機で行く場合はレンタカーなど使うにしても、自宅から空港など、その重い荷物を担いで移動することになります。普段持たないような重い荷物を背負えば肩が凝るばかりではなく心身ともに疲れます。

例えば、私が65Lのザック荷物に詰めた荷物について、1点1点どのようなことを想定して持参したのかを質問をして行けば、明らかに不要なモノはたくさんあると思います。持参する荷物が軽ければそれだけ心身の疲労が小さくなりますので、次回はそのバランスも考えてみてください。

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《戦略・スタート〜20㎞》

目標タイムは12時間25分

サロマ湖

直前の体調不良を受け、11時間台を目指したフィニッシュ目標を大幅に変更し、ネットで12時間25分とした。

サロマ向けのセミナーで教わったヒミツの計算式をアレンジしたラップ表をポケットに。30㎞までは6'30/㎞で走る。私のGPSウォッチは少し早めに測位するので、6'20〜25/㎞程度の表示を心がける。


身につけたサプリメントなど

サロマ湖

スタート時に下記を詰めたウエストポーチを身につけましたが、全く同じ中身のものを予備として用意し、54.5kmのレストステーションにおきそっくり付け替えました。

理由は、中身を入れ替えるより素早くできるのでエイド滞在時間を短縮できると思ったからです。

アスリチューン・ポケットエナジー×2

メダリスト・アミノダイレクト×3、ZENトラ・ダルマ各2錠×3組

ブスコパン(胃腸薬)×3錠、ロキソニン(鎮痛薬)×3錠

”本サイトより読者へアドバイス”

ペースを考えても、100キロはそのペースで走れないのだから考えるだけ無駄という人がいますがそれは違います。厳密に10キロごとのラップを設定して走る必要はないと思いますが、例えば序盤の30キロまではキロ◯分で行き、そこから徐々に落ちても◯分は超えないようにしよう。また50キロの通過タイムは◯時間を目安にしようなど事前に計画して走るのと、何も考えないで走れるのでは、特に苦しいレース展開になった時に差がつきます。また完走ギリギリの方は目安がないと焦ってペースアップしてしまったり、逆に次の関門までは余裕があるからと時間を無駄にしてしまい、その先の関門に間に合わなくなったりします。

また、エイドステーションですべて賄おうとするのも危険です。パンフレットに書かれている食べ物があるとは限りません。仮になくてもエネルギー補給ができるようエナジージェルは持った方が良いです。またストレスなく飲めるジェルを用意することができれば大きな武器になります。

ウィンブレを捨ててしまった

サロマ湖

のどかな風景が広がる。周囲にどんどん抜かれるが、マイペースマイペース。練習不足のせいか、ジョギングペースなのに息切れする。思い切り吸い込みたいのに、堆肥のニオイが邪魔をする(笑)スタート時、ウィンドブレーカーと100均のカッパを着ていたが、暑くてすぐ脱いだ。しかし、雨は本降り。かさばるカッパはエイドで捨て、ウィンブレのみで行こうと決める。腹部の冷えはファイントラックが守ってくれるだろう。レストステーション行きのバッグにはビニールポンチョを入れてある。キャップのつばから雫が滴る。寒さで吐く息が白く、レンズが曇るためサングラス使用を諦め、以降1度もかけることはなかった。体温調節のため、ウィンブレの着脱を繰り返す。身体が濡れてウェアの滑りが悪く、案外難儀だ。

5㎞過ぎのエイドでカッパを捨てる。100m程走ったところで、ウィンブレを着ようとした私は猛然と逆走を開始した。ウィンブレを捨ててしまったことに、ここで気がついたのだ。ちょ!確かにセールで買ったけど、それでもカッパの数百倍だよ。同色なのでうっかりした。猛ダッシュで逆走の私に、皆が不思議そうな視線を送る。ゴミ袋を漁り無事回収。ホッ。

トイレコントロール

サロマ湖

10㎞を超えると、往復のコース。ふと見ると空いている公衆トイレ。尿意はあまりないが立ち寄る。この後はウェアが濡れ、着脱に難儀するだろう。複数回トイレに寄ればタイムロスは免れない。低温もあり、トイレコントロールを重視しようと決めた。しばしランナー同士で談笑。案外混んでいて5分以上をロスし、少し慌ててオーバーペース気味に走る。トップが折り返してきた。さすがに速い。仲間ともすれ違う。調子良さそうだ。フルとは違い、走りながら様々考える余裕がある。左にオホーツク海、右にサロマ湖。晴れていたらさぞや絶景なのだろうと思いながら、細い細い岬を折り返す。

《異変・20㎞〜40㎞》

体調急激DNFの危機

サロマ湖

20㎞の補食はアスリチューン・ポケットエナジー。メダリストとZENのトラ・ダルマを2粒ずつは、20㎞毎に摂れるよう、ウエストポーチに仕分けた。トイレに寄った割には順調なペースだと思った矢先、小さなゲップ(お行儀悪くてスミマセンw)。これを皮切りに、レース最大の危機が訪れた。

25㎞、右脇腹が差し込み始める。ゲップが増え、口中に酸味を感じるようになった。みぞおち付近に鈍く重い痛み。これはマズイ。朝食でたんぱく質を摂りすぎたか。トイレ後のオーバーペースが響いたか。体調は急激に悪化する。吐き気が襲い必死で堪える。血の気が引きフラフラする。DNFが何度も頭をかすめる。

ウルトラには復活があるを信じて進む

…いや。『ウルトラには復活がある』と、何人もが言っていた。それを信じよう。ウェストポーチには、お守りの胃腸薬。差し込みにも有効だというブスコパンを服用し、息も絶え絶えに30㎞へ。ペースは死守した。マットを通過するとすぐに長い登り坂。走るのを止めて歩き出す。こんな前半で歩く人など周囲にはいない。

ウルトラは戦略的に歩け

『ウルトラは戦略的に歩け』。これもウルトラセミナーでの教え。走るのが辛くても、歩けばゴールに近づく。当たり前のことだが、ロードをメインにしていると、歩くことに罪悪感を持ちがちになるのだ。走路が狭く、かつ水たまりが多いため、他ランナーを妨げないよう気をつけながら、登り坂は大股でガシガシと歩き、下り坂は胃を刺激しないように、ちょこちょこ走ることを繰り返した。半分も走らずに終了なんて絶対にイヤだ。ウルトラには復活がある、今一度言い聞かせ前進する。雨が小康状態なのが救いだった。

”本サイトより読者へアドバイス”

100キロは距離も長ければ、時間も長いです。万全の準備ができたと思っても予期せぬトラブルに遭うことは多々あります。未然に防げるトラブルは極小化すべきですが、おこってしまった時は焦らず対処できるかで結果は大きく変わってきます。今回私もお腹を壊し非常に厳しいレースとなりました。原因はウエアが濡れてお腹が冷えたなんて理由だけではなく、北海道に行くまでを含めたレース前の体調管理や摂取した食べ物やサプリメントも絡み合っています。ただそのことを悔やむより、いかにして最小限のタイムロスにできるかを考えて進みました。完走も危ういと感じる時もありましたが、諦めずにその場でできることを続けたので最低限の走りはできました。

六波羅さんは戦略的に歩いてお腹への負担を小さくし回復を待ちました。決して諦めなかったからゴールできたのです。

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《回顧・40㎞〜60㎞》

ウルトラに復活は本当にあった

サロマ湖

40㎞。二手に分かれた道路の左手に導かれると、目の前にサロマ湖が姿を現した。雨で見通しが悪くてもなお、圧倒的な雄大さでランナーを出迎えている。しばし見とれた。遠くの空に、前線の境目がわかる。境目の向こう側はオレンジを帯びた水色。オホーツク海の彼方は晴れているのだろう。晴れ間よ、こちらへ来い。胃の痛みはほぼ気にならなくなっていた。ウルトラに復活は本当にあった。よし進もう。

初フルを思い出した

42.195㎞の計測マットを4時間49分で通過。予定より遅いが気にしないことにした。それにしても、フルがただの通過点でしかないことに今更ながら驚く。初フルマラソンは約2年半前。満面の笑顔でゴールしたものの、直後に一歩も動けなくなったなぁと懐かしく思い出す。

私が走り始めたのは4年3ヶ月前のことだ。運動経験がない私が入ったのは、錚々たるトライアスリート達を擁するクラブが立ち上げたランニングチームだった。叩く扉を間違えた。尻尾を巻きそうになった私に、メンバーたちはフレンドリーだった。私が見たことのなかった世界を惜しみなく見せてくれた。初ハーフでは、3人のメンバーが仮装し並走、何人もが応援に駆けつけてくれた。マラソンは孤独な競技だと思っていたのに、ここでは違っていた。『是が非でもサブ4』と宣言した私を導いたのは、アウトドアフィットネスをライフワークとするOコーチ。海へ山へと付いて回るうちに、いつの間にか市民ランナーの夢のハードルを越えさせてもらっていた。初フルから1年後のことだ。サブ4達成後は、自然な流れでウルトラに惹かれていった。ウルトラ向きだと助言してくれた友人の言葉も後押しした。

夢見たサロマ湖を走っている

サロマ湖

そして、走り始めて3年2ヶ月後の昨年、柴又の60㎞でウルトラデビュー。翌年の目標をサロマ100㎞と決めた。

今、そのサロマ湖を見ながら走っている。なんだか胸が一杯になった。湖畔に別れを告げ、しばらく行くと緩やかだが長い登り坂だ。ランナーが数珠つなぎでみえる。

サロマは真っ平同然と聞かされてきたが、結構登っている。ウルトラは平坦なルートを取るのが難しいのだろう、野辺山や富士五湖など、トレイルか!的な高低差のレースが多い。そのため、百戦錬磨のウルトラマン達にとって、サロマは真っ平にしか見えないのだろうと勝手な仮説を立て、勝手に納得する。

この辺りは歩道が狭い。しかも車道は物凄いスピードで車が往来している。水たまりを避けるとなると一列になり走るしかない。すっかり怠け癖がついてしまい歩きたかったが、ここはお尻を叩かれるように周囲のペースに同調する。

応援ツアー用バスが、追い抜きざまに声援を送ってくれる。収容者用のバスも抜いて行く。こちらは無言だ。誰もこれに乗っていませんように。皆無事にゴールできますように。そう言えば、胃痛以降全く食べていなかった。不思議と空腹は感じない。普段は邪魔でしかない体脂肪が、ここぞとばかりに燃えているのだろうか。そうであって欲しいな。

まだむかつきが残るため、一錠追加と思いポーチを探るが、薬の袋もZENも、メダリストも見当たらない。ゴッソリ無いとは何事だ。どこかに落としたのか、そもそも入れていなかったのか。この後不調の波が来たらどうしようと不安になる。なんとか持ち堪えてくれ。左前方に白い屋根。人だかりも見える。55㎞手前、大きなレストステーションだ。

滞在時間は短めの3分と決めた

ドロップバッグのテントでは、ボランティアがナンバーを読み上げ素早く伝言ゲーム。待ち時間はゼロに近い。この時点で、予定時間を10分弱オーバーしていたため、滞在時間は短めの3分と決めた。ここで、80㎞以降に大きな意味を持つ事となる人物と物たちのうち、2つに出会う。

ひとつめはエイドで受け取ったアミノバイタルゼリー。蓋をゆるめて渡してくれる気遣いが嬉しい。ふたつめは人物。サロマンブルー(10回目の完走)がかかったYさんだ。見つけざまに大声で駆け寄った。60㎞を7時間以内で行きたかったのに間に合わない、と焦る私にYさん、「ワッカに15時前に入れば大丈夫。あとはキロ9分で行っても間に合うから」とアドバイスをくれた。会話しながらドロップバッグを素早く確認。取捨選択は的確に行わなければならない。アスリチューン・ポケットエナジーや薬などを入れた、予備のウエストポーチを用意しておいて良かった。

早速付け替え、失った物たちを補給。バッグには羊羹やグミなど沢山詰め込んでいたが、今後も固形物は食べられないだろうし、エイドだけで間に合いそうな目処が立ったので、アミノバイタルゼリーとOS-1ゼリーだけをランパンのウエストポケットにねじ込む。ビニールポンチョは、少し迷ってから持つのをやめた。Yさんにサロマンブルー達成へのエールを送る。這ってでも行くよ!と力強く答えてくれた。握手して別れ、念のため胃薬を追加。コースへ飛び出した。

”本サイトより読者へアドバイス”

エイドの滞在時間によりタイムは大きく変わります。もちろんしっかり補給しなければ先に進めませんが、補給をしたら可及的速やかにエイドを出ることを薦めています。少々エイドで休んだからといって疲れなんて抜けません。1箇所3分休憩したら20箇所のエイドで合計1時間費やすことになります。タイムを狙うランナーにとっては非常に大きい時間ですし、完走を狙うランナーにとっても貴重な時間だと思います。六波羅さんは直前に体調を崩したことから、制限時間との戦いになると本人も認識していたと思います。そこでエイドの滞在時間を短くしようと、ウエストポーチごと交換したりと工夫したのです。