最後の真夏のオクム(奥武蔵ウルトラマラソン)を走った時の記録と記憶

奥武蔵ウルトラマラソンの開催日を6月上旬から10月中旬へ変更するという発表がありました。

理由は、地球温暖化により大会開催日の気温が上昇傾向にあることから、参加者の安全性を重視し、また大会に関わる諸事情も考え合せての決定です。

(画像は2023年大会)

主催者はこのように話しています。

奥武蔵ウルトラマラソンは立ち上げた当初より「夏の祭典」として、多くの皆さまに親しんでいただきましたが、やはり「安全性最優先」という観点から、熟考に熟考を重ねたうえで、この度の開催日変更の決断に至った。10月の開催になっても、「オクムの精神」は変わることはないとあります。

私が初めて走った2009年は8月1週目の開催で、その後も7月最終週か8月1週目の真夏に開催されていました。それが6月に変わったのは非常に暑い時があり熱中症が続出。また私が折り返したあたりで激しい雷雨が続き、近くにバンバン落ちるが逃げ場がないから走るしかなく、道も足首まで雨水が流れるような状態でした。ただゲリラ豪雨がなければ熱中症で運ばれた選手はもっと多かったでしょう。

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当時書いたブログを参考までに紹介します。読み返して読みにくい文章は変えますが、文脈は変えません。

2014年大会は本当に命の危険を感じた

奥武蔵ウルトラマラソン無事ゴールしました。

こんなコースです。
2011年までは20キロまではあまりアップダウンがなくウォーミングアップ的に走れたのですが、2012年にコース変更がありより厳しくなりました。

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(画像は2023年大会)

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7時のスタート時点で汗が吹き出るくらい蒸し暑く、今日は無理したら危ないと思いました。スタートしてジョグペースで走りましたが、スタート前に感じていた『嫌な予感』を上回る状況でした。気温が高いだけではなく湿度が異常に高く体温がどんどん上がるのです。身体の表面をサランラップで巻いたみたいと書いたら大袈裟だけど体温の逃げ場がないのです。

4キロくらい走って砂利道になったあたりで心拍数が激しく上がりこれはマズいと歩きを入れましたが、過去にこんなこと初めてです。グリーンロードに入れば日陰もあるので体感温度は下がると期待して鎌北湖までは無理しないで走ることにした。

序盤から歩いたらカッコ悪いとか考えずに上りで心拍数が上がったと感じたら早歩きに切り替えた。

20キロまでの1キロごとのラップです。
(少し前のブログに書きましたが、アップダウンのあるこのコースは実際は78キロであってもGPSの計測値は76キロくらいになります。よってこの20キロ地点は実際は20.4キロくらいでした。)

距離計測の関係から、記載した1kmラップより実際のラップは7、8秒速いと思ってください。

スタート〜5キロ(27’48)

27’48(4’53-5’31-5’35-6’55-4’51)

5〜10キロ(スタートから53’53)

26’05(4’51-4’57-5’02-5’32-5’41)

10〜15キロ(スタートから1’26’40)

32’47(5’38-8’35-7’11-6’07-5’13)

15〜20キロ(スタートから1’54’34)

27’54(4’35-5’04-5’37-5’47-6’48) 

ハーフ通過で2時間は切っていたから状況を考えたらまあまあ走れていた。

今日は無理しちゃいけない

(画像は2023年大会)

20キロ付近の鎌北湖エイドの救護室で、チャレンジ富士五湖で圧倒的な強さを誇っていたウルトラランナーが手当を受けているのを見て今日は無理しちゃいけない。序盤の判断は間違っていなかったと思った。そして、鎌北湖からの激坂を登っていると上りをしてると、例年上位に入っている奥武蔵道場の速いランナー二人がリタイアして下ってきた。

例年とは明らかに違う。序盤抑えたつもりだけど既に激しく消耗している。

まだ55キロ以上あると思うと気が遠くなるけど進むしかない。スタート前からタイムは狙えないとは感じていたけど完走も危うい。

でも絶対に完走はする。

私は速いランナーではないけどスタートしたらどんな状況でもどうすればゴールできるか考えてゴールを目指す。この考えに賛同する人もいれば賛同できない人もいるだろう。

歩いてゴールしても価値がないと言う人もいる。

ウルトラマラソンを走る意味や目標も人それぞれだから、私はその意見に対して賛成も反対もしない。

”自分がどうありたいか”だけです。

私はその日の状況によりどうすれば一番速くゴール出来るか考える。もちろん何があってもゴールするのは必須条件です。

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自分に課した2つのこと

歩くだけでも熱中症になりそうな状態だから、自分に2つのことを課した。

【体温を上げない】そして【心拍数を上げない】

ホント命にかかわる。

そのために全エイドで水を被る。そして緩く走れる上りも走らない。上りを走るとゆっくりでも心拍数は上がる。これが高温多湿状態では非常にヤバイのです。

20〜25キロ(スタートから2’35’59)

41’25(6’22-9’15-7’20-7’43-10’43) 

25〜30キロ(スタートから3’20’49)

44’50(8’35-6’04-11’00-10’51-8’17)

50キロまで上りメインのコースで上りは全歩きと決めたので当たり前のタイムです。頑張って走ってる人にガンガン抜かれる。知り合いにも抜かれた。途中応援している日本代表の知り合い(M@平塚の本田さん)がいる前ももちろん歩き。カッコ悪いとか考えたらダメです。

すべては自分で決めたこと。

ただダラダラ歩いた訳ではないです。腰の位置を高く保って腕をしっかり振ってリズミカルにガシガシ登りました。

登りではいろんな人がいた。

リズミカルに走っていく人

よろけながらもゆっくり走る人

スピード上げて走ったと思うと立ち止まる人

走りと歩きを混ぜながら登る人

ダラダラ歩く人

ホントいろいろでした。みんな暑さに負けずに必死に頑張っている。

私は上りでは体温と心拍数を上げないことを意識するとともに脚に疲れを残さないようにした。なぜなら下りや平地は走るつもりでいたからです。下りになれば自分を抜いていった方々の大半を抜きました。下りもスピードを上げようと思って走ったわけではなく腰の位置を意識してリズミカルに下りました。そして下りが終わり上りに入った際に、頑張らないと腰の位置を保って走れないという場所から歩きに切り替えました。なぜなら腰の落ちたフォームは脚に大きな負担をかけるからです。

30〜35キロ(スタートから4’03’08)

42’19(7’10-8’40-8’55-9’05-8’27) 

35〜40キロ(スタートから4’50’33)

47’25(11’02-8’34-8’57-9’58-8’51) 

39キロ過ぎて半分を超えたあたりで完走は出来るだろうけど10時間くらいかかるかも??なんて思いました。ただ途中のエイド手前で順位を数えてる人がいて229番と言われて驚きました。こんだけ歩いてるのに229番なら最終的に200番以内には十分に入れると思った。

7時間50分で走った昨年の順位は200番くらい??

相当酷い状況であることを再認識しました。

奥武蔵ウルトラマラソンは50キロ過ぎて折り返しがあるので速いランナーともすれ違う。とんでもなく速いランナーが先頭だと有り得ない位置ですれ違うこともある。

今年は40キロ過ぎた辺りですれ違ったと記憶してるが例年とほぼ同じだった。トップ選手も苦しんでいる。

40〜45キロ(スタートから5’27’32)

36’59(9’30-5’31-8’33-7’03-6’20) 

この辺りで速い友達とたくさんすれ違った。たまたま私が下りの時は走ってるからいいけど上りの時は確実に歩いてるから根性ないなと確実に思われただろう。でも自分で決めたこと。

45〜50キロ(スタートから6’03’46)

35’44(8’30-8’33-7’03-6’41 -5’23)  

折り返しは50.8キロだけど、到着は6時間少し前でした。ガーミンでは49キロを少し超えたあたりです。エイドでかき氷を食べて初めてトイレに行って再スタートです。

ハーフ通過が2時間で50.8キロが6時間と言うことは30キロ弱を4時間です。キロ8分・・・。

まあ上りは歩きだから当たり前です。

折り返し時点の状態は安全に走ったことから脚にもほぼダメージがない状態でした。

熱中症の症状も、脱水症の症状も、ガス欠の症状もない。これは行ける!!と思った。

残り27キロは前半同様、上りは全歩きで下りは走るつもりでいた。大半が下りだから走れる区間は長い。そうすれば3時間半では戻れるから9時間半は切れると思った。とにかく完走できる目処はたった。

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雷が近くにガンガン落ちる状況でZONEに入った

そして折り返した直後に急に暗くなってきた。その前からゴロゴロ来ていたからいよいよ本格的にくるかと思った。そして土砂降りになってきた。身体が冷えて気持ちいい。下り基調だからペースはどんどん上がる。51キロ地点まできた脚はまだまだ残っている。

上りはあるが距離は短い。最初は上りは無理しなかった。

50〜55キロ(スタートから6’31’21)

27’35(4’51-4’51-5’17-6’23-6’12) 

身体が冷え、頭も冷え、ネガティブな考えも吹っ飛んだ。折り返しで飲んだアスリチューンも効いてきた。激しい雨で道路が水没してる箇所もあるのでスピードをコントロールしながら走った。折り返しからは面白いように先行するランナーを抜いた。折り返しまでは全てのエイドに寄って補給と水かぶりをしたが、雨で身体が冷やされたので折り返しからは二回に一回もしくは三回に一回にした。

雷がかなり近づいてきた。

私の斜め上を通る電線がピカッと光った時は少し焦った。雷は一方向ではなく前後左右で雷鳴を響かせている。そして稲妻も凄い。でも不思議なくらい恐怖はなかった。

怖くないのだ。。

あちこちで落ちているのに恐くない。

熱中症や脱水症になっておかしくなった訳ではない。

日本における雷の被害者は毎年10数人。こんな低い確率なのに私が感電死したならそこまでの人間だったと言う事。そもそもこのレースにおける危険事象はこんな感じと思って参加しました。

【高温多湿】
【交通事故】
【落雷】
【土砂崩れ・落石】
【暴風雨】
【熊、毒蛇】

高温多湿が一番怖い。

この一帯は熊も出るがレース中は出ないだろう。

雷はもちろん怖いけどレース中に車にひかれるリスクの方が明らかに高い。

もちろん周りの木に落ちて地面を通じて感電しないよう道路の端は走らないようにした。

駅のホームを歩いていたって車を運転していても、建物の中にいても死に至る事故に遭うことはある。だから恐れすぎてはいけない。あの状況の最善策は速くゴールして体育館に入ることだと思った。

55〜60キロ(スタートから6’59’01)

27’38(6’36-5’08-4’42-5’45-5’27) 

60〜65キロ(スタートから7’24’20)

25’19(4’56-5’23-5’27-4’58-4’32) 

しかし場所によっては道路は川になり足首まで埋まってしまう。スピード出したくても抑えなければ危ない箇所も多々ある。

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予期せぬトラブルで一転ピンチ

顔振峠の茶屋があるエイドを過ぎたらゴールまであと13キロ。スタートして65キロ地点なのにますます元気になる自分が面白かった。

65〜70キロ(スタートから7’53’56)

29’36(5’21-6’43-5’07-5’03-7’20) 

顔振峠から先も下り貴重ではあるけど長めの上り坂もある。ただ上りも腰の位置を高く保ち腕をしっかり振ることで脚がグイグイ出ていく。今までにない感覚です!!上り坂で加速する感覚も初めてです。たぶん最近気をつけている体重をしっかり乗せることが出来てきたのでしょう。

70〜75キロ(スタートから8’20’47)

26’51(6’53-5’10-5’01-4’47-4’56) 

ゴールまで10キロを切り8時間30分切りも視野に入ってきた。しかしユガテエイド手前で想定してなかった出来事が発生しました。水溜りの中に段差があり足首を捻ってしまったのです。(水で窪みが見えない)

幸い軽く捻っただけだったのでエイドで少し様子を見てスタートした。最初はゆっくり様子をみて走り始めたが問題はないのでスピードを上げた。ただそれからは水溜りが怖くなり深そうなとこはスピードを落として通過した。

鎌北湖エイドを過ぎたらもう3キロない。エイドを過ぎて前にいるランナーを数人抜いたらもう視界には一人も見えない。

あと1.5キロくらいはのんびり走ろうと思った。

8時間30分も確実に切れる。そう思った矢先の緩い下りを下りきる手前で後ろから軽い足音が近づいてきた。折り返してから一瞬抜かれても抜かれた人は全員抜き返した。負けず嫌いで抜き返したわけではなく普通に走っていたら自然に追いつき自然に抜いていたのです。

もうタイムも順位も関係ない。

迫ってきたランナーを見ると私より年上だけど、ランパン・ランシャツで脚の運びはスムーズでかなり速そうな感じです。またかなり余裕がありそうです。私と同じような走りをしたのでしょう。感覚的にサブスリーペースで走っている。

もちろん抜かれた。その瞬間に私もペースを上げてました。

まさかこんな結末が待っていたとは。

私はウルトラマラソンのゴール手前でのスピリント勝負は好きではありません。でもここまで来て自分に余力が残っていながら抜かれたら悔いが残る。ゴール前のスピリント勝負なら多分負けないと思うがその前に勝負をつけようとペースを上げて振り切った。

4’05-1’55(3’53ペース)

そしてゴール

8時間26分51秒

しかしラスト1.5キロになってキロ4分切って走るとは思いませんでした。

総合順位 139位
40代順位 56位

折り返し前に229位と数えて頂いていたから、かなり順位は上がりました。タイム的にも昨年より36分遅いだけ。

最初は、完走も危ない。と真剣に思った。

10時間は切れるかもと思った。

上手く行けば9時間切れるかもと思った。

そして

結果的に8時間30分が切れた。

今回はいろんなことを学べたレースになりました。特に上り坂を楽に加速していく感覚を忘れないうちに再現してみます。

最後になりますが、今回は過去にない過酷なレースだったようです。完走した人もリタイアした人もこんな過酷なレースにエントリーしてスタートしたことは素晴らしいことです。またエイドのボランティアの方々をはじめとした大会スタッフには心より感謝しております。ウルトラマラソンを走るランナーが何を飲みたいかを分かってる方々にはホント感謝です。コーヒー牛乳やいちご牛乳なんて奥武蔵以外ではみたことないです。みなさんお疲れ様でした!!

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読み返して思うこと

(画像は2023年大会)

9年以上前の出来事ですが、読み返して当時のことが色々浮かんできました。スタート前からこれはヤバいと思い、スタートしたらそれより酷い状況でした。自分の調子が悪いというだけではなく、現在も活躍しているが当時はチャレンジ富士五湖で圧倒的な強さを誇っていたランナーが20km付近の救護所で横たわっていたのを見て無理したら命に関わると思った。

途中棄権するランナーが結構いたけど、当時私は1回もリタイアしてなかったので、タイムは狙えなくても完走はしたかった。そして健康な状態で完走するにはどうしたら良いかを考えて、戦略的に登りは全部歩くことに決めました。体温・心拍数を上げないためにはそれしかないと思ったのです。知り合いも多数参加し、応援にもきている大会なので前半から歩いているのを見られるのは気持ち良くはないけど、自分で決めたことなので徹底しました。

そして折り返した頃からの豪雨。最初は熱った身体が冷えて気持ち良いと思ったけど、近くにガンガン雷が落ちる状況になり、まさに命の危機を感じる場面になりました。

私はそれまでの人生でも命の危機を感じる場面では相当集中した状況になり身を守ってきましたが、不思議なほど冷静になっていました。全く怖くはなく、この場で何をすれば良いのかを考える中で、避難場所がないのだからできるだけ早く駆け降りるしかない。とまさにZONEに入っていました。

折り返しまでは、結構ネガティブな気持ちになっていた部分もあったのが、頭の中がスッキリしてとにかくスピードを出そうと思えば出せる状態になりました。

登りで加速する感覚なんで初めて感じたと書いていますが、その時の感覚は今でも覚えています。なぜこのように走れたかというと、折り返しまでの登りは全部歩いたけど、ダラダラ歩かずに骨盤をしっかり動かして早歩きしていたので、その動きの感覚を身体が取得したのです。

そして、最初は完走も難しいのではないか?と思っていたのが、10時間は切れるに変わり、9時間切れそうなど上方修正していく中でテンションが高まっていったこともよく覚えています。

このようなZONEに入った時は、ほとんど自己ベスト更新ですが、自己ベストでもなんでもなく、そのような状態になったのは2018年の神宮外苑24時間チャレンジのラスト30数分が記憶にあるだけです。

また、当時からスポーツエイドジャパンの大会はランナー目線の大会だと思っていたけど、今回の開催日程変更もランナー目線に立った判断です。

スポーツエイドジャパン主催大会は多数ありますが、総じて参加費は安価です。そして募集定員の少ない大会も多く、そのような大会では収益はほぼ残らないでしょう。その中にあって奥武蔵ウルトラマラソンは最も参加人数が多く最大の収益源のはずです。その大会日程を変更するのは主催者からするとかなりのリスクのはずですが、様々なレベルのランナーが出場する大会だからこそ、より安全サイドに寄せたのでしょう。

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