フルマラソンは「最後まで歩かない」がホントの完走!?

今月販売のランニング雑誌に、『フルマラソンは「最後まで歩かない」がホントの完走!』という特集が組まれていたことに対して、批判的な見解がFacebookなどに投稿されているのをみて実際の記事を読んでみました。

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まず記事を読む前に、雑誌広告を検索して見たら、特集のキャッチコピーが、『フルマラソンは「最後まで歩かない」がホントの完走!』だったのです。おそらく記事では前提条件を加えて書いているとは思いましたが、それ書いちゃうの・・・と思いました。

考え方は様々ですから、そんなの当たり前と思う方もいれば、そんな言い方はオカシイと思う方もいると思います。

私自身は、歩こうが諦めずにゴールを目指してゴールしたなら、それは立派な“完走”だと思います。

記事を読むと一歩も歩かないでゴールした方が達成感が大きいのだから歩いたらもったいないという感じで書かれています。

本当に、一歩でも歩いたら達成感が小さくなるのか?


答えはさまざまだと思います。

私の初フルについては何回かふれてますが、練習不足や知識不足から、20キロも行かずに両脚が攣って走れなくなりました。この記事のように歩いてゴールしたら完走ではない。というのなら、走れなくなった時点でリタイアするべきでしょう。

ただ、私は前に進みたかった。簡単には諦めたくなかった。そこで復活を信じて歩きました。当時はガーミンなんてないから距離表示を使って歩くスピードを計算しました。なぜならこのまま歩いて制限時間の5時間に間に合うかを計算したかったのです。早歩きは出来たので、だいたい1キロ10分ペースでした。しかしこのペースでは制限時間に間に合わないとゆっくり走りだすと両脚が攣って転倒しました。もうどうにもなりませんでした。

ただ、ひたすら早歩きをしました。どんどん抜かされ悔しかったです。ただ転倒覚悟で走ってみたりも繰り返しました。理由は攣るタイミングをはかるためです。なにせ歩き続けたらゴールに間に合わないのです。何度か転倒するうちに攣る寸前の感じを掴むことができたので、そこからは攣る前に歩くを繰り返したところキロ8分になり何とか5時間以内でゴールすることが出来ました。

もちろん凄く悔しかったけど、諦めずにゴールしたボロボロのカッコ悪い自分のことを何だか見直したのをよく覚えています。

それが私のランナーとしての原点であり、もしその時に走れないのだから、歩いてゴールを目指しても意味がないとリタイアしたら、おそらくランニングは続けていないでしょう。

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そのレース以来フルマラソンで歩いた記憶はないのですが、歩かずにゴールしても達成感がまるでないレースもたくさんあります。

達成感は、歩いた、歩かなかったで決まるわけではなく、その時々の状況の中で、諦めず、自分に負けずに、自分にできる最善を尽くせたかどうかで決まってくると私は思います。

後半苦しくなって、まだ走れるのに歩いてしまったなら最善は尽くしていません。雑誌で言っているのはこの部分です。

また、フルマラソンに出るなら走りきれるくらい練習してから大会に出なさい。という意味も含んでいるとは思います。

この2点については私も同感です。

ただ、最後まで歩かないがホントの完走は、違うと思います。違うというより少し狭いと感じるのです。

先ほどその時々で自分にできる最善を尽くせるかどうかで達成感が決まる。と書きましたが、言い方を変えると、その時の状況に応じて、いかに速くゴール出来るか(完走できるか)を考え実行していくことです。

歩かずにゴールしても、途中でペースが保てなくなり、自分に負けて安易にペースダウンしたら達成感などありません。落ちるところを出来るだけ粘ってゴールしたなら目標タイムに届かなくても達成感はあります。

また、こんな時も歩かないでゴールを目指した方が良いでしょうか?

・脚が攣って走ると必ず脚が攣る。しかし歩くことはできる。歩き続ければ制限時間内にゴールできる。

・気温が高いからか気持ち悪くなりこのままではゴールできない。少し歩いて体調を整えたら辿りつけるかもしれない。

・キロ4’10で行ったら脚が攣るリスクが高まるが、キロ4’30なら攣らない。安全に3時間10分切りを狙うなら、4’30ペースだけどサブ3を狙いたい。また攣ったとしても歩けばまた走れるようになる。

→知り合いで攣り癖があり、いつも数回歩きながらも福岡国際マラソンの参加資格タイムで走っているランナーもいます。

・頑張って走っているのに早歩きをしているランナーに抜かれた。完全にフォームが崩れてしまったようだ。正しいフォームでしっかり歩いてから走ればペースが戻るかもかもしれない。

私がこのような状態なら、迷わず歩きます。歩くことに罪悪感はありません。ただスタートしたからには、健康な状態でゴールすることにこだわりはあります。フルマラソンでは歩いた方が速い状況は滅多にありませんが、歩いた方が結果的に速くゴールできるなら迷わず歩きます。

マラソンは根性だ。的な考えであれば、“歩く”ことは負けでしょう。

ただ私は“歩く”ことも戦略だと思っていますし、武器だとも思っています。その武器を使うか使わないかは状況次第です。

競歩は走ったら失格になりますが、マラソンは歩いても失格になりません。制限時間内にゴールしたならそれは完走です。

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長々と書きましたが、歩くことは悪、と決めつけるようなキャッチコピーはよくないと思います。

キャッチコピーは、記事を読まずに、その言葉だけが一人歩きします。

影響力のあるメディアが、最後まで歩かないのがホントの完走  =  一歩でも歩いたら□□の完走  的なキャッチコピーはいかがなものかと思います。

途中で諦めてリタイアしようと思ったけど、何度も思い直して歩きを交えながら感動のフィニッシュをしたランナーが、この言葉を見たらどう思うでしょう。

仲間から、君は歩いたから完走じゃない。とレース後の打ち上げで言われたら傷つくでしょう。

どうしようもなくなったら歩いたって良いと思う。

これ以上先に進んだら、故障する。倒れる。と思ったらリタイアしても良いと思う。

もう限界なのかどうかは、自分自身が一番分かっています。

自分には嘘はつけないのです。

また、良い思い出にするためにも、身体を壊してはいけません。健康のためにしているランニングで無理して日常生活に不自由するようなことになれば悔いても悔やみきれないと思います。

歩いたって良いじゃないですか。

そもそも歩かないで走りきれば制限時間は5時間もあれば十分です。それなのに制限時間が5時間以下の大会は少なく6時間以上が主流になっている現在のマラソンは、歩くことも含めてマラソン大会だと思います。

私が初めて走ったマラソンは第2回掛川新茶マラソンです。今年は第12回大会ですが、大会会場を所有していた企業が売却してことで開催が危ぶまれたようです。その後も半分以上歩き倒したコースをもう一度見たいと思いながらも、チャレンジ富士五湖と開催日が近いために参加していません。今年はチャレンジ富士五湖が2週間後になったことと、来年以降大会が開催されるか怪しいのでエントリーしました。10年前の景色を覚えているかどうかは分かりませんが、ランナーとしての原点に立ち返って見たいと思います。



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