発表後に多くのランナーのFacebookフィードを占拠した全日本マラソンランキングの冊子を見ると、男性30歳の100位は2時間43分25秒で、男性40歳の100位は2時間49分12秒です。そして男性50歳の100位は2時間56分13秒です。
何が言いたいかというと、30歳から40歳、そして50歳になると一般的傾向として体力は落ちるということです。
マラソンランキングの数値を持ち出さなくても、会社や得意先、家族、友人など見ればわかると思います。
何もしなければ身体は加齢により衰えていきます。もちろん50歳からランニングを始めて2、3年のランナーであれば、続けるだけでもタイムは面白いように伸びますが、同じことをしていれば徐々に伸びは鈍化し、いつしか横ばいになり、ある時から落ち始めます。
その時どう思うかで、その後は決まります。40歳後半なんだから仕方がない。50代になったら自己ベストなんて無理。。など諦めたら、モチベーションも下がり一気に落ちていきます。
逆にそれまでの人生経験を生かして、自分には何が足りないのだろう?何をしたら良いのだろう?と考え、決して諦めないランナーは再び自己ベストを出しています。
自分はまだ出来ると信じることとは非常に大事なことですが、もう一つ大事なことがあります。
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それは何かが変わらないと難しいということです。それまでもいろいろ模索し、実行してきたランナーが行き詰まっているわけですから、同じことをしていたらその壁を越えることが出来ないばかりか、落ちないような壁に必死に張り付いてる状態になります。力尽きたり、気を抜いたら一気に壁から転がり落ちます。
その壁の高さや傾斜そして表面は様々です。低い壁でも掴み所がないツルツルの表面だと登れませんが、直角に切り立った壁であっても掴むところや、足場があれば登れるかもしれません。
その掴み所や足場になるようなヒントを見つけることが出来れば、何度も越えることが出来なかった壁を越えることが出来るかもしれないのです。
そのヒントになればと50代になってもタイムを伸ばしているランナーが行なっていることを紹介しています。
今回はウルトラプロジェクト・サポートスタッフの渡辺邦久さんの事例を紹介します。
渡辺さんはコース短縮によりショートレースになってしまった第5回UTMF以前の4回を全て二桁順位で走り優先エントリー権を持ち、またハセツネサブ10やUTMB完走など特に長くテクニカルなトレランを得意にしているランナーです。
その渡辺さんはここしばらく不調が続きましたが、例年完走率が極めて低い難易度の高いトレニックワールド100mile &100km in 彩の国100マイルの部で総合4位に入ったのです。
この結果には、「何が変わったの?」と周りは驚いていました。
その辺りについて紹介していきます。
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□大会結果
完走率 19.4%(出走者191人 完走者37人)
リザルト タイム 30時間32分34秒 総合4位 年代別1位
□去年のレース展開
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□今年のレース展開
彩の国のコースは8の字でマイルは北51キロを1周、南55キロを2周します。
【目標】北8時間、南①12時間、南②13時間の計33時間(制限時間は35時間)
【結果】北8時間、南①11時間、南②11.5時間の計30.5時間
北はほぼ目標通りのタイムで走りましたが、時期的にカラダがまだ夏仕様になっていなかったため暑さがかなり辛かったです。
南①は夜間で風も強かったため涼しく走りやすかったです。クラブの仲間と前後して楽しく走れました。先が長いのでオーバーペースにならないよう抑えて走りましたが、それでも予定よりも1時間早くサンピアに到着しました。
そこまでは順位を気にしていなかったのですが、サンピアで応援に来てくれたクラブの仲間から年代1位、総合11位と聞いてビックリし、疲れもどこかに吹き飛びました。
南の2周目も元気いっぱいにスタートしました。しかし3時半ごろだと思いますが、113キロの桂木エイドを出たあたりから猛烈な睡魔に襲われ、125キロ西吾野駅付近で後続の選手に抜かれるまで2時間くらい寝ながら歩いていました。
僕を抜いた選手はペーサー付きで僕の走りたいペースよりも速かったのですが、残り35キロだったので少し無理をしてついていきました。
130キロ子の権現で時計を確認するとバッテリー切れで液晶が真っ黒(苦笑)。ただもう完走は確信していたのであまり気になりませんでした。後は最後までしっかり走りきるだけ。西吾野駅から引っ張ってもらっていた選手を142キロ天覚山でパスして、最後のエイドがある153キロ桂木観音で4位の選手と入れ替わりました。
桂木観音から合流した100キロの選手達もどんどんパスして元気いっぱいでゴール!
今回7度目のマイルでしたが、こんなに最後までしっかり走りきれたのは初めての経験でした。
51歳にして自己最高順位(総合4位、年代1位)、自己最高パフォーマンスを発揮したレースとなりました。
□こんな楽に100マイル走ったのは初めてと感じた理由
自分でも不思議なのですが、一番キツかったのが最初の北で、一番楽で楽しかったのが南①、最も攻めたのが南②の後半でした・・・。
後編に続く
□画像提供 渡辺邦久さん他