自己ベストを出し続けるために必要なこと①〜自己ベスト出したら嬉しいですか?〜

コロナ禍以降、スタートしたオンラインレッスンは、通常日程で練習会を再開した後も継続しています。ウルプロ®︎OTS(オンライン・トレーニング・ストレッチ)は昨夜で381回目の開催となり、またランニングに必要なさまざまな知識や経験を伝えるオンラインレッスンも月に2回以上の頻度で開催しています。

オンラインレッスンは私が講師になるだけではなく、その分野の専門家にお願いすることもあります。

そのオンラインレッスンで「自己ベスト」について考えてもらったことがあります。

そこで伝えたことや考えて欲しかったことなど、こちらでも紹介しようと思います。

文章にするよりオンラインレッスン、オンラインレッスンよりリアルなレッスンの方が伝わりますが、文章でもある程度お伝えすることはできると思います。

<スポンサーリンク>

ランナーにとっての「自己ベスト」とは、自分史上一番速いタイムという意味で使われることが多いですが、24時間走など距離が記録になる種目では、自分史上最長距離になります。

当然ながら1回しか走っていなければ、それが自己ベストになります。

と言うことは最初にチャレンジして完走すれば、それは自己ベストになります。

それなら誰だって自己ベスト出せるじゃないの?と思った方もいるでしょうが、ランニングを初めて大会にエントリーして(逆もあるかな?)大会に出て完走するのって結構なエネルギーを使います。それを乗り越えて完走したのだから、速いとか遅いとか関係なく立派な自己ベストです。

私は、初めてのフルマラソンで嬉しさも悔しさも同時に味わいました。制限時間5時間で、4時間56分というほぼビリッケツのタイムでしたが、さまざまな苦難の中を試行錯誤してゴールに辿り着いたことは大きな経験です。

こんなに走れない自分にガッカリすると同時に、それでも諦めないで前に進む自分に、こんな一面もあったんだ。と他人事のように感心している自分もいました。

<スポンサーリンク>

自己ベスト≒自己満足

市民ランナーの自己ベスト≒自己満足と私は思っています。トップアスリートなら自己ベストが日本記録になったり、世界記録となって歴史に自分の名をを刻むことができます。賞金など得ることもできますし、他のアスリートの目標になります。またトップアスリートではなくても、大学入学や実業団に入る時に免許や資格のように自己ベストが武器になるアスリートもいますがランナー全体からみたらほんの一握りです。

多くの市民ランナーは自己ベストを出しても賞状や賞品ももらえません。何を得ることができるかと言えば「満足感」ではないでしょうか?

私自身、今は1秒でも自己ベスト更新したら嬉しいけど、10年くらい前を振り返るとフルマラソンで自己ベストを大きく更新してもガッカリしていた時もあります。

今の自分が、当時の自分のコーチなら自己ベストを出したら、まずは喜ぼう。その上でガッカリした部分を次のレースまでに試行錯誤していこうと伝えます。

振り返ると

2回目のフルマラソンの2008年東京マラソンで初めてサブ4した時はかなり嬉しかった。

4回目のフルマラソンの2008年大田原マラソンで初めてサブ3.5した時は嬉しかった。

2009年東京マラソンで3時間21分台、秋のレースで3時間15分台は嬉しくなかった。なぜなら3時間15分は切れると思っていたから。

2010年1月に3時間15分を切りましたが嬉しくなかった。なぜならサブ3したかったから。

2009年、2010年も自己ベストを出すことが多かったけど、ほぼ満足することなくタイムは停滞してきました。停滞した理由は同じような練習をして、同じようなレースをしていたからです。

転機が訪れたのは2010年11月のつくばマラソンでスタート早々太ももにトラブルが発生し無理せず3時間15分ほどでゴール。もちろん悔しかった。その2週間後の青島太平洋マラソンまでは回復優先で、それまでの大会前ルーティンをいっさいやめて走ったら初めて3時間10分が切れました。この時は嬉しかったです。

そして、2011年は東京マラソンで3時間03分を出し、11月の神戸マラソンでサブ3達成。

自分自身振り返ると、自己肯定感が高い時は楽しいし、タイムも伸びています。

<スポンサーリンク>

自己肯定感が低い時は、自己ベストをだしても何が良かったのか?何が足りないから目標に届かなかったのか?を考えて練習に落とし込めていませんでした。

当時はこの練習ができたならこのタイムは出せると考えていたけど、そもそも当時の10kmやハーフのタイムを考えるとサブ3する力なんてなかったと思います。3時間15分前後でしか走れてないのに、次はサブ3しなければなんて義務感を感じていて、まずは3時間10分を切ろうなんて気持ちは全くありませんでした。

他人との比較に意識を向けないほうが良い

また自己肯定感が低かった理由は、他人との比較や評価ばかりしていた気がする。

周りは自己ベスト出しているのに自分は出せない。とか他人と比較すると自己肯定感は低くなりがちです。その時に調子良くタイムを伸ばしている人と比較しちゃうのだから疲れます。そもそも同じレベルだったとしても、練習環境や、年齢・体力など一人一人違います。

比較することで、負けたくないとライバル意識を刺激することで伸びる人もいます。またその緊張感やストレスが心地よく感じる人もいますが、多くの市民ランナーは、他人との比較ではなく、過去の自分と比較していった方が継続して続けられる気がします。

そして、○分切らなければならない。とかそのためにはこの練習メニューをしなければならないと義務感にしちゃうと走ることがつまらなくなってしまいます。

そんなタイミングで故障すると落ち込むし、それを繰り返すと走ることが嫌いになってしまいます。

ランニングを通じて知り合った方々を思い浮かべると、他人との比較や○○しなければいけないと走ることを義務感にしてしまった方は、走るのをやめているケースが多いように感じます。

それは負けず嫌いな方が負け続けたら凹むし、義務感にしていることが毎回できないのだから仕方がないです。

以前の私のように自己ベストを出しても嬉しいより悔しい気持ちが強く、それを繰り返しているうちに自己ベストが出なくなると、嬉しいって自己満足、自己肯定感に包まれる時がほとんどないまま、伸びしろを使ってしまいます。

そんな経験もあって、以前の私のような方向に行きそうな雰囲気を感じたウルプロメンバーには、自己否定に向かわないよう、昔の私に話すようにアドバイスすることはあります。

他人との比較ではなく、過去の自分との比較

私は他のランナーと比較はしますが、基本は過去の自分との比較です。いつの間にかランニング歴が長くなり既に18年目に突入しましたが、現在でも全ての種目で自己ベストを更新できると思っています。なぜ自己ベストを更新できるかと言えば、ランニングを始めてから常にアップデートしているからです。アップデートできない時は伸び悩んでいますが、そのような年でも1つや2つの種目で自己ベストは出ました。『過去最高タイム』を出すことができれば自分自身の満足感を高めることができます。その時の心地良さを味わうためにまた頑張ろうと試行錯誤は続いているのです。

どのようにな状態が心地よいかは人それぞれですが、私は『自分自身の成長』を感じた時です。何もしなければ老化が進む年齢の中で、成長を感じていくことって結構モチベーションになります。

また、タイムを伸ばす観点に立った時、自分は全てやりきったなんて市民ランナーはほぼいないでしょう。自分自身で考えてもまだ伸ばせる余地はあるだろうし、専門家に相談したら、自分が気づいていない伸び代を見出してくれるかもしれません。

少し長くなってきたので、ここで一旦切りますが、ここまで読んでいただいて感じたことはポジティブな面・ネガティブな面、様々だと思いますが、なぜ自分はそう感じたのだろう?と考えると、そこに伸び代があったりします。

次回はもう少し具体的な内容に入っていきます。

もう何をしたら分からなくなった。とか、走ることが苦痛になってきたというランナーと、パーソナルレッスンをすることは多々ありますが、ランニングフォーム中心のパーソナルレッスンだけではなく、今回紹介したことなどをオンラインで行うパーソナルレッスンもあります。ご希望の方はFacebookのメッセージにてお問い合わせください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA