2時間46分39秒の意味〜1秒の重みを感じるのはそこまで頑張ったから〜

ランナーで、サブ3とかサブ4の意味を知らない人はほとんどいないと思いますが、ランナー以外であれば何のことやら分からないって人多いでしょう。

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サブ3はフルマラソンを3時間以内、サブ4は4時間以内で走ることで、サブ3ランナーは3時間以内で完走したランナーのことで、マラソン完走者に占める割合は男性は3%、女性は0.4%程度です。

世界記録はエリウド・キプチョゲが出した2時間01分39秒で2時間切りが現実味を帯びてきました。いわゆるサブ2です。

このようにフルマラソンを走る多くのランナーは『時間』を単位に考えています。

だから時間の数字が変わる、2時間59分59秒と、3時間00分00秒は1秒の違いだけどランナーにとっては天と地ほどの違いがあるのです。

まさしく、その1秒を削り出せ!の世界なのです。

でも、最近走ったフルマラソンのタイムを1秒単位まで覚えているランナーはどれほどいるでしょう?

私自身、3月の古河はなももマラソンで自己ベストを更新しましたが『秒』単位は覚えていません。

ほとんどのランナーにとって、2時間59分59秒と、3時間00分00秒は大きな違いがあっても、2時間59分57秒と2時間59分58秒や、3時間00分01秒と3時間00分02秒はたいした違いではないのです。

それは時間の単位が変わる4時間でも同様で、その間に3時間30分を切るかどうかのサブ3.5という分岐点はありますが、これは3.5時間ということで『分』という単位に着目したものではありません。

ここまで読んで、タイトルの意味が分かった方はかなり勘の良い方です。

2時間46分39秒は9,999秒なのです。

秒単位で考えると、4桁と5桁に変わる分岐点ですから、2時間が3時間になるより大きな意味がある瞬間ですが、2時間46分40秒だったランナーで、2時間46分39秒出せなかったと悔やんでいるランナーは聞いたことありません。

また、2時間59分59秒は10,799秒で、3時間00分00秒は10,800秒と、『秒』で考えると大した違いはありません。


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こんなことを考えるキッカケになったのは、少し前にアメリカ在住の方が一時帰国した際にパーソナルレッスンを受けていただきましたが、3時間03分30秒で走るのが目標だと話していたのです。

随分中途半端なタイムだと感じたので理由を聞くと、マイル7分で走るとそのタイムになるようです。

1マイルは1609.344m

42.195kmは約26.219マイル

26.219マイル×7分≒183.53分 になります。

すなわち 3時間03分30秒少々なのです。

この時、単位が変わると全く印象が変わるものだなーって思いました。

ただ、秒単位で考えれば、2時間59分59秒と3時間00分00秒は1秒しか違わないから、大した違いではない。と言いたいわけではありません。

その境界線上で走っているランナーにとってはホント大きな数秒なのです。

2014年11月に開催された大田原マラソンで私は3時間00分03秒(10,803秒)という悔しいタイムを出しました。

2011年11月に初めてサブ3した翌4月から職場環境が変わりそれまでにも増して練習時間の確保が難しくなりました。このレースは3年ぶりのサブ3を目指して走りましたが、28kmくらいでキツくなり集団からこぼれ落ちるも必死に見える位置にしがみつきました。しかし今でも不思議なのは、競技場に入った時に時計を見てなぜかサブ3間に合った。と思ってしまったのです。そこから少しペースアップするもラストの直線でこれでは間に合わないと気付き、あるたけの力でラストスパートをしましたが、無情にもゴール横の時計は3時間を示しました。

4秒くらいなら競技場に入ってすぐにスパートしていれば間に合ったかもしれませんし、サブ3ではなく、1秒でも速くゴールしたいと思っていれば、また違った結果になったかもしれません。

悪い夢でも見ているかのような結末でした。でも、終わってしまったレースの結果は変わりません。

その翌月の防府読売マラソンも同じような展開になりましたが、競技場に入る前に私に向かって「上げろ!」って叫ぶ友人の声に背中を押されてラストスパートしてゴールに飛び込みサブ3に復帰しました。その時は失敗を繰り返してはダメだと必死でした。

距離が長くなればなるほど、1秒の重みは希薄化されていきますが、レース終盤に目標タイムに近づけば近づくほど重みは増していきます。

私は短期間にギリギリサブ3したランナーと、サブ3できなかったランナーの両方を経験しましたが、その違いは、キツイ場面で、さらにキツくなることを受け入れる強さがあるかどうかだと思います。

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少し話は逸れますが、私同様、ぎりぎりサブ3をしたランナーと話をすると、皆同じようなことを考えています。普段口にはしていませんが、サブ3ギリギリのランナーは辛いと言うことです。

例えば2時間50分を切る力のあるランナーだと、気象コンディションが悪い時や、調子が良くない時には無理に2時間50分切りを狙わずに3時間切りのペースに落とすことがありますが、10分落としたら随分楽なレースができます。

しかしサブ3ギリギリのランナーの多くは、そのような状況でも3時間10分切りに落とすことはしません。(国際女子マラソンの資格タイムが絡む女性ランナーは別です。)

結果、厳しいコンディションに耐え終盤まで粘ったが3時間を少し超えてしまったなら、サブ3出来なかったと悔しい思いをします。また周りから見ても残念な感じになります。ただ自己ベスト+1〜2分で走ったのだからそのランナーにとっては精一杯の走りだったはずです。

私自身、そのような走りをしていますが、常に緊張感あるレースになっています。もう少し走力を高めて、余裕をもってサブ3が出来るレベルになりたいのですが、ギリギリもまた楽しいし様々な気付きがあります。

サブ3に限りませんが、弱い自分との葛藤も、残り時間とのプレッシャーも、目標あってのことです。

目標がなければ、苦しくなったらペースを落としたら良いし、そもそも時間を気にしなくてもいい。

これって楽かもしれないけど、自分のレースならつまらない。

もちろん、走る目的はタイム以外にもいろいろあると思いますが、私にとってフルマラソンは過去の自分との勝負の場だと思ってます。

負けることが多いけど、たまに勝つこともできる。

そんな意味で私にとって3時間というタイムは絶妙な設定だと思ってます。

何才までサブ3できるか分からないけど、53才になった今年も自己ベスト目指して走ります。

話を戻して、1秒が重く感じることができたなら、それはそこまで懸命に頑張ってきたからです。仮に目標を達成出来なくても、目標達成が見える位置で耐えてきたのです。その経験や悔しさは次に繋がります。

最後に、タイトルの2時間46分39秒は4桁秒という意味で紹介しましたが、目線や単位を変えると全く違う見え方をすることは世の中にたくさんあります。9999秒、166.65分、0.1157日・・・。また目標タイムに届かなかったからダメなレースと切り捨てるのではなく、そのレースのことを少し視点を変えて振り返ると、今まで気づかなかったことが見えてくるかもしれません。

例えば自己ベストを出したが目標タイムに届かなかった時に、よく頑張ったと考える人もいれば、自分はダメなヤツだと考える人もいます。

私自身、自己ベストを出しても目標タイムに届かず残念な気持ちになったことは一度や二度ではありませんが、自己ベストは自分史上最速タイムなのです。これを喜ばないのは勿体ないです。仲間はもっと速いからこんなタイムでは喜んでいられない。と思う方もいるでしょうが、目標に近づいたという見方もできます。ネガティブに考えるもポジティブに考えるも自分次第です。

こちらは目標タイム達成を目指して練習しているランナーには知って欲しいことを書いた過去の記事です。合わせてお読みください。

フィニッシュラインは駆け抜けろ!



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