4月30日から5月5日に開催された川の道フットレース513kmで大会記録で優勝した仲田光穂選手のチェックポイント(CP)間のタイムやペースそしてレストポイントでの休憩時間などをこちらで紹介しました。
今回は、制限時間5日と12時間の2時間前にゴールした、本田学選手(ウルプロメンバー)のタイムやペースなど紹介します。本田学選手の過去最長距離は2022年川の道フットレース・千曲川〜信濃川ステージの251kmだったので、今回の半分を超えてからは一歩一歩が過去最長距離の更新になったのです。
仲田選手ら上位選手は3日少々で走り切ってしまいますが、今回完走者の半分以上は5日以上でゴールしているので、今後挑戦する方の多くは、本田選手のペースや準備したことなど参考になると思います。
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チェックポイント到着時間とペースなど
(ピンチアウトで拡大できます)
右端は3箇所のレストポイントでの休憩時間を除き算出したペースですが、レースの大半はキロ12分を超えています。キロ12分は時速5kmなので歩きがメインになるわけです。ジャーニーランなど経験のある方なら分かると思いますが、長時間歩き続けるのも相当大変なことです。しかも本田選手は5回夜を越したわけですが、その時間帯にレストポイントで寝ることができたのは1回だけで、4回は道端などで仮眠をとりつつ進んだのです。睡魔には何度も襲われたと思いますが、関門時間や制限時間にさほど余裕があるわけではないので、大きな休憩・仮眠などすることはできないのです。
それでも、後半は時速4kmでしっかり歩き続ければ間に合うと言うことです。
- 制限時間 132時間
- レストポイントでの休憩 15時間39分(本田選手の場合)
- 差し引き時間 116時間21分
- 距離 513.3km
- 単純平均ペース キロ13分36秒(時速4.4km)
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チェックポイントなどで投稿した画像
こちらはチェックポイントで投稿した画像です。場所、距離、時刻だけの投稿もありますが、その時の気持ちを綴った投稿もあります。またどのような場所を走っているかもイメージできると思います。
CP24の投稿がないが、そのくらい疲れていたんだと思ったら、CP25大野大橋としている場所はCP25はでなくてCP24です。それを書き間違えるくらい限界だったのでしょう。
「脚が動かない 限界突破 這ってでも行く 待ってろ 川の道岬」
そして辿り着いた川の道岬
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仲田選手と本田選手のレストポイントでの休憩時間
今回この記事を書くために調べて意外だと思ったのは、レストポイントでの休憩時間です。
二人とも3箇所の休憩は合計して15時間前後だったのです。
レストポイント | 本田選手 | 仲田選手 |
両神荘 | 3時間40分 | 2時間52分 |
小諸グランドキャッスルホテル | 8時間18分 | 7時間17分 |
旧三箇小学校 | 3時間41分 | 4時間19分 |
合計 | 15時間39分 | 14時間28分 |
ゴールタイムからレストポイントの休憩時間を除いた時間は、本田選手の114時間20分に対して、仲田選手は61時間35分で、比率にすると本田選手を100%にすると、仲田選手は53.9%と約半分です。
この辺りは個人差が大きいと聞きますが、優勝を争う選手や記録を狙う選手は休憩を短くする傾向があります。
どれだけ睡眠時間が必要かは非常に個人差が大きく、日常生活を考えても8時間以上眠らないとダメな方もいれば3時間程度で大丈夫な方もいますが、最大5日半に及ぶレースでは睡眠時間を含めたレース戦略が完走できるかどうかの大きなポイントになりそうです。
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さて数字や画像だけではなく、本田学選手のレースの振り返りを紹介します。
サポートカー
- 川の道フットレースでは、安全性の観点からサポートは推奨されている。
- サポートカーがあると予備装備を預けるなどのメリットがある。
- 長い区間ではメリハリをつけることができた。
開会式で舘山代表から、川の道ではサポートを公式に認めるというか、むしろ歓迎する旨のコメントがありました。川の道は、当初、ランナーの安全を確保するためにサポートを付けることを参加の必須条件にするつもりだったが、第1回大会でサポートなしでも大会運営が可能なことがわかったので、サポートは必須にしていない。しかし安全性の観点からは、サポートを付けることは歓迎、そのことによって負担が軽くなって不公平ということは言わないようにしましょう、とのことでした。
私の場合、今回は明らかに実力以上の挑戦でしたので、2日目の昼(秩父あたり)からゴールまで、サポートカーをお願いしました。オーバーナイト区間としては、2日目の夜(小鹿野〜下仁田)と5日目の夜(十日町〜長岡)になります(3日目、4日目は宿)。サポートカーが途中で離脱しても大丈夫なように、リストアップした装備は全て自分で持って走りましたが、それ以外の予備装備や万一の時に備えた補給を持たなくて良いのは助かりました。例えば峠の登りだけ使用したポールは、使用後にサポートカーに預けることができました。何よりも助かったのは、長い区間を例えば5キロずつに区切ってもらえるのが大きかったです。5キロ先にいるサポートカーまでとにかく頑張るということを繰り返すことで、ゴールに辿り着きました。まさに「神サポート」です。
(参考)
大会によりこのあたりの規定は様々なので、明記していなければ主催者に確認をすると安心です。24時間走や100マイルトレイルでもサポートを付けることができるのに付けない選手もいます。一人で全て対応したいとか、気を遣いたくないとか、コストの観点など理由は様々です。また最初から最後までフルサポートを付ける選手もいれば、途中の時間だけ付けるなどの選手もいます。
川の道フットレースであれば、タイムを狙うにしても完走したいと考えるにしても、サポートをつけた方が安全面の観点からメリットは非常に大きいです。その上で付けるか付けないかを決めるのは自分自身です。
長時間の大会でサポートを付ける主なメリット
- 背負う荷物を減らすことができる。(軽量化できる)
- 使うか使わないか分からないがあった方が良いアイテムなど車で運んでもらえる。
- 食べたいもの、飲みたいものを準備してもらえる。
- 緊急時に早めの対処ができる。
- 孤独な時間、キツイ時間に話すことでリフレッシュできる。 など
また、サポートを付けるにしても、どこまで自分の負荷を軽減するかは自分の力量と、何をしたいかによって変わってきます。本田選手は大会前の準備について何度か相談があり、必要十分な装備を背負って走ってみて負担感などチェックしていました。実際レース中も基本的な装備は全て背負って走りました。必要以上に装備をサポートカーに預けてしまうと、それは甘えすぎると楽しくないと感じたのでしょう。本田選手はサポートを付けることで、安全面は確保した上で、自らの限界にチャレンジしたのです。
また厳しい場面が続きリタイアしたいと考え始めた時に、サポートカーがあるとリタイアのハードルは低くなります。サポートカーがないと、リタイアするにしても、そこから駅まで遠かったり、何回も乗り継ぎをしなければいけないとか、そもそも深夜は電車やバスは動いていないし、汗まみれの格好で電車に乗るのは嫌だとか考えると、それはそれで面倒くさくなるのです。結果的に今ここでリタイアするのは大変だからもうちょい先に行こうとなり、結果ゴールできてしまうこともあるのです。
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眠気対策
- レースで一番大変だったのは眠気との戦い
- カフェインなど使ったが一番は仮眠を取ること
- 仮眠時の寒さ対策は重要
全体を通して一番大変だったことは、眠気との戦いに尽きます。5泊6日の道中オーバーナイト区間が4晩ありましたが(3泊目は小諸泊)、どれも大変でした。CNC(Catalyst ナチュラルフェイン・・・生産中止)やカフェイン入りアスリチューンも飲みましたが、結局最も効果的なのは、仮眠を取ることでした。それも10分程度の短い仮眠ではなく、思い切って30分〜1時間程度のまとまった仮眠を取ることが明らかに効果的でした。夜間はかなり冷えるものの動いていれば準備した防寒着で対応できたのですが、屋外で仮眠を取るには不十分でした。道の駅など屋内で仮眠可能な場所を見つけるのが難しかったので、屋外でも眠れる対策は必要だと感じ、大会後に思わずエマージェンシー寝袋を購入しました。
*Amazonなどで様々なタイプが販売されているので災害時の備えとしても良いですね。
ザックに入れた防寒着
- 化繊ベスト
- エマージェンシージャケット
- レインジャケット
- レインパンツ
- 布ジャケット
- ニット手袋
このうちレインジャケット以外は全て使用しました。 また、さらに寒いときの対策として以下の防寒用の着替えも持ちましたが、使用することはありませんでした。
- アームカバー
- ネックウォーマー
- イヤーカバー
- 長袖インナーシャツ
- メリノウールロングタイツ
眠気対策に関連して、夜到着して朝出発する小諸はぐっすり眠れましたが、IN-OUTが日中になる両神荘と旧三箇小は、1時間程度しか眠れませんでした。サーカディアンリズムに反する睡眠は困難なので、無理に寝ようとせず最低限のリカバリーに集中して、早めに出て夜に道ばたで仮眠を取ったのは良かったかもしれません。両エイドとも4時間前後で出ました(計画では5時間)。
(参考)
本田選手の振り返りを読んで、『寒くて仮眠を取るには不十分』というくらい寒かったのなら、レインジャケットを重ね着し、防寒用として持参したネックウオーマーなどを使用すれば保温性は増したはずです。と伝えました。実際睡魔に襲われ冷静な判断ができない状況だったと思いますが、昼夜の寒暖差の激しいレースを走る際は、装備品を総動員することが必要で、そのためには、自分が何を持っているのかを明確にしておく必要があります。
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ウルトラには復活があるは、要はリカバリーのこと
- レストポイントにおいたマッサージ機器は役立った
- 暑い時間はあえて歩くようにするなど疲労の蓄積を抑えた
今回もう一つ痛感したのが、リカバリーの大切さです。ウルトラは復活があるとよく言われますが、要するにリカバリーのことだということがよくわかりました。レストステーションの荷物に入れていたルコエランもバイブレータもとても効果的でした。
両神荘と小諸は、いずれも到着前はキロ13でフラフラになってなんとか辿り着くような状態でしたが、出発後はキロ8で走れるようになっていました。旧三箇小の後も同じくらいリカバーしたのですが、まだ午後の暑い時間帯だったので、敢えて歩きました。とは言え、脚の疲労は日を追うごとに蓄積していき、最終日は日中も脚が動かなくなってきました。この時にルコエランが使えたら良かったかもしれません。最後は暑さもあって限界のヘロヘロ状態だったのですが、最後、川の道岬からゴールまではキロ8で走れたのですから、気温が下がったとはいえ、精神的なリミッターも大きかったのだと思います。
(参考)
本田選手はザッグにルコエランを入れて走り、途中食事などする時にも低周波マッサージをしていると思っていましたが、レース後にレストポイントにおいていたと聞いて勿体無いと伝えました。重量的なコストパフォーマンスの観点で考えるとルコエランは非常に軽量で効果も大きいアイテムです。通常のウルトラマラソンなどでは使いませんが、私がジャーニーランに出るなら必ず持参します。
*私はウルプロメンバーに向けて販売していますが、面識のある方であれば販売可能です。私あてメッセージください。
怪我・故障・事故の予防
- 完走できなくても制限時間まではコースにいると決めていた
- 絶対に事故・怪我・故障してはいけないと思っていた
とにかく、これには相当に注意を払いました。たとえ制限時間内にゴールできなくても、132時間のノーサイド・ホイッスルはコース上で聞くと決めていたので、そのためには事故はもちろん怪我や故障を、絶対にしてはいけないと思っていました。一番気をつけたのは、峠の下りを上りより慎重にゆっくり行くことと、歩道の路面に躓かないことです。幸い、それらは奏功したと思います。
(参考)
私は川の道フットレースのコースについては、前半部分は他の大会で走った箇所があるのと後半ハーフは走ったので3/4くらいは分かりますが、歩道と車道が分かれていない道は多く、大型トラックなどがビュンビュン走っている箇所もあります。そのような箇所で意識が朦朧としていては重大事故になることもあります。
また昼夜の寒暖差が大きく、日中は直射日光を浴び体感温度が40℃近くなることもあれば、夜はマイナスになることもあり、身体への負担が非常に大きい。さらに歩道は都内などと違って凸凹や傾斜があり躓きやすかったり身体のバランスを崩しやすく怪我や故障リスクの高いコースです。
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大変だった区間
本田選手に大会中に苦しかった箇所を聞いたところ以下のような回答がありました。
なかなか順番は付けにくいですが、以下は特に苦しかったところです。
1.飯山から野沢温泉村、特に道の駅花の駅千曲周辺(350〜370キロ、4日目夜)
サポートカーのいないオーバーナイト区間で、蛇行するくらいとにかく眠かった。道の駅の自販機コーナーの床に転がって30分程度仮眠を取り、その後、コンビニでシュークリームを食べて血糖値を上げることで何とか復活した。
2.水防資料館CPと大野大橋CPの間(480〜500キロ、最終日午後)
脚の疲労がピーク。5キロごとの休憩頻度を3〜4キロくらいに短縮した。携帯用の軽量な椅子とルコエランを持参すると良かったかもしれない。ゴール目前なので這ってでも辿り着くという気力のみだった。スピードより、とにかく転倒しないように気をつけた。オープンイヤーの骨伝導イヤホンで、中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を1曲リピートして気分を盛り上げた。おかげで今も、「旅は〜まだ〜終わらない〜♫」というフレーズが頭の中でリピートしている。
3.荒川河川敷(スタート〜40キロ、初日昼)
この区間をキロ9で走らないとエイド閉鎖に間に合わず、その後の補給に支障をきたすのがプレッシャーだった。当初は雨予報だったが、レインウェアを着るほどの雨にならず、靴も濡れず、追い風に押されたのは非常にラッキーだった。ただ、毎年そんな具合には行かないと思う。実際、荒川ジャーニー1日目は本降りの雨で40キロでリタイアした。この区間をキロ8で、疲れを残さずに走る練習は必要だと思った。
4.内山峠上り(215〜235キロ、3日目昼)
20キロ以上ダラダラと続く長い上り坂に、橋とトンネルが多く、また交通量が多いためロードノイズが非常にストレスフルだった。写真を撮って気を紛らわせていたが、一番癒やしになったのは、利根川支流の源流を見ることで、これが川の道かと感動した。
5.越の大橋CP前後(430〜450キロ、5日目夜)
この区間も疲れと重なり相当に眠かったが、前夜の経験から、思い切って30分と1時間の仮眠を取ることで復活した。
完踏に導いてくれた要因
主催者SAJの舘山代表をして「今大会最大の嬉しい誤算」と言わしめた、明らかに実力以上の完踏を支えてくれた要因として、主に3つを挙げることができように思います。
①「歩くように走り、走るように歩く」練習を徹底した
言うまでもなく、513キロの大部分は歩くことになります。しかし、普通のベタベタした接地時間の長い歩き方をしてしまうと、脚への負担が大きくなりすぎるため、長く歩くことはできません。そこで、接地時間をできるだけ短くし「走るように歩く」練習、そして走れるところでも頑張り過ぎず「歩くように走る」練習を繰り返しました。
大会前にフルマラソンを3回走ったのですが、それらは全て5時間半から6時間かかりました。これらの大会で目指したのは、42.195キロ走り終わった後に、100キロマラソンをスタートする体力と気力を残すことでした。それぞれの大会でPBを狙って真剣に走る方には申し訳ない想いもあったのですが、私にとって昨年末からの全ての大会は、川の道完踏に向けた準備でしたので、ご理解頂ければと思います。走り込みは全然できていませんでしたが、この練習の効果は大きかったと思います。
②装備を徹底的に見直し入念に準備した
圧倒的に不足している走力を補うために、装備、特にザックに入れる荷物については徹底的に見直し、必要なものは新たに購入しました。その際、新澤コーチには本当に有益なアドバイスをたくさんいただきました。
結果的に、飲料を含まずリュック込みで3キロに重量を抑えることができました。他の選手と比べても明らかにコンパクトだったようで、エイドスタッフに「荷物小さい!」と驚かれましたが、中身は結構詰まっていました。この準備のプロセスは本当に楽しく、川の道を2回楽しんだ気分になりました。
③メンタルとフィジカルのマネジメント
昨年の川の道ハーフ以来、完走したウルトラは荒川ジャーニー2日目の54キロのみで、DNFの言い訳を見つけることが得意技になっていましたが、今回は途中で諦めたいという気持ちは全く起きませんでした。ゴールできなくても最後はコースの上に立っていることをスタート前から自分に誓い、苦しい時は、川の道を完踏した自分の姿というポジティブイメージを思い浮かべるようにしました。
より具体的には、完踏したときにFacebookに投稿する原稿の下書きを、頭のなかで何度も何度も考えて推敲しました。結局ゴールしたときには、全部忘れてしまいましたが。フィジカル面では、とにかくしっかり食べることと、先に述べたように、怪我・故障・事故に対して臆病なくらい慎重になることを心がけました。
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川の道を走る理由
そもそも、本田選手はなぜ川の道フットレースを走りたいと思ったのか聞いた。
- 日本を代表するフットレース
- 主催者の大会に込めた想い・物語に惹かれた
それは、名実ともに日本を代表するフットレースと言うのももちろん大きな魅力だったのですが、そうした競技上の理由よりも、主催者がこの大会に込めた想いというか、物語に心を打たれたからです。
太平洋から川を遡り、分水嶺を越えて、日本海へと降る川の旅。それはまさに、大いなる浪漫です。狭い国土に山がひしめいている日本では、山の栄養分が海に運ばれることによって、近海の豊かな海産資源が育まれています。山の恵みなくして、海の恵みなし。その山と海を繋ぎ、日本の豊かさを生み出す原動力となっているのが川に他なりません。残念ながら、こんな甘ったるい考えは、近代合理主義や、それがもたらす環境破壊によって、いずれ過去のものになってしまうのかもしれません。
しかし、もし自分の身体を張って川の一生を見届けることにより、その偉大な役割を魂に刻むことができるなら、そのことは美しい日本を子供達の世代に受け継いでいく上で、必ずや無視できない貢献をするに違いない。取ってつけたような理由に聞こえるかもしれませんが、私が川の道にこだわる理由は、まさにここにあります。主催者が大会に込めた想いを紐解きながら走ることは、ジャーニーランの大きな楽しみの一つだと信じています。
ゴールして感じたこと
ゴール後の投稿の一部を紹介します。
「川の道戦士」になれました。サブ130のおまけ付き。正直なところ完踏できると思っていなかったので、私自身が一番驚いています。たくさんの応援、ありがとうございました。
山は黙々と聳え、川は滔々と流れる。朝日に萌える残雪、陽光に輝く新緑、闇夜に降る満天の星。人の一歩は小さいけれど、それを根気よく繰り返せば、いつかは太平洋と日本海ですら繋ぐことができる。そのことを自らの身をもって確認できたことは、大きな意味があると感じています。
実は一年前の川の道ハーフ以来、60キロ超の大会を完走できたことは一度もありません。フルマラソン6時間程度の走力しかない今の自分にとって、川の道は明らかに実力を上回る無謀な挑戦。今回は自分の限界を見極めるつもりで参加しました。ただ、開会式で選手の体験談を伺い、スタートする前に一つだけ自分に誓ったことがあります。それは「たとえ完踏できなくても、132時間の制限時刻はコース上で迎える」というものでした。この誓いが6日間に及ぶ長丁場のレースを支えてくれました。シワクチャの記録用紙、擦り切れたゼッケン、貰えたこと自体が驚きの完走証。これらは生涯の宝物です。
泰羅先生、川の道完踏しました。幾多の大会を見守ってくれた缶バッジ、汗で錆びだらけになってしまいました。明日、川の道岬に奉納してきます。素晴らしい世界を見せてくださり、本当に感謝しています。ありがとうございました。
この素晴らしい大会を開催してくださった舘山代表はじめSAJのスタッフとボランティアの皆さん、ありがとうございました。「朝は希望に起き、昼は努力に活き、夜は感謝に眠る」という言葉の意味に少し近づくことができたように思います。近いうちにボランティアとしても参加させていただこうと思います。引き続きよろしくお願いします。
歩きと走りのフォームを長年にわたり指導してくださっているあしラボの小野寺さん、「歩くように走り、走るように歩く」ことは、自分の性格や身体の特性に合っていると思います。怪我ばかりしていた自分が、故障することもなく川の道を完踏できるなんて夢のようです。ありがとうございました。
事前の準備だけでなく、大会中も折々に的確なアドバイスをくださったウルプロの新澤コーチ、本当にありがとうございました。節目ごとにコメントしてくださったペース計算を読むことで、焦ることなく進むことができました。最高だったのは、「スマホは起きてから」という修学旅行の先生みたいなアドバイスでした。
先の辰年から始まった私のマラソン歴も、これで一区切り。きっとこれからも走ることは続けると思いますが、どういう方向に進むか、しばらく身体を癒しながら、ゆっくり考えてみたいと思います。
長い記事になりましたが、今回紹介した仲田光穂選手や、本田学選手同様、完走した選手、リタイアした選手、ケガなどで出場できなかった選手、そして大会を支えた多くの方々それぞれに物語があるのです。
来年以降フル・ハーフ含めて参加したいと考えている方は少なくないと思いますが、主催者の館山代表が一番危惧しているのはレース中に事故が起こることです。先日打ち合わせをした時に、事故を起こさないためにも大会に出場する方はしっかり準備をして臨んでほしいと話していました。ここでいう準備とは練習だけではなく、装備だったり、レーススケジュールだったり、安全面で自信がなければ今回の本田選手のようにサポートを付けたりなど多岐にわたります。したがってまず走りたいと思った方は、実際に完走した友人などから様々な情報を得ることはとても大事なことです。今回、本田選手から話を聞いて記事にしたのは、そのような意味もあります。
今後も事故やトラブルがなく続いてほしい大会です。
こちらは以前、脳科学者の本田選手にアドバイスをもらって書いた記事です。あわせて読んでみてください。