初フルの掛川新茶マラソンを10年ぶりに走ってきました。その1

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2007年4月の第2回掛川新茶マラソンが私のデビュー戦でした。デビュー戦というより1回走れば十分という気持ちもあったと思います。

40歳の時のことです。

当時のことを書いた記事からの抜粋です。

レースのことを何も知らないで走った2007年の掛川マラソンではハーフ手前で両足が攣りました。対処の仕方もまったく分からない。ゆっくり走ると攣るので残り半分以上早歩きをして一歩一歩ゴールを目指しました。制限時間が5時間と厳しいレースでしたので歩いたら間に合わないことは計算してすぐに分かりましたが、その場で出来ることは歩くことだけ。

途中に収容バスがありリタイアしようか、かなり心が揺れました。ただまだ歩けるのだから前に進もうと必死に歩きました。あの時にバスに乗っていたら、もうマラソンはしてないかもしれません。なぜならまだ先に進む力があるのに諦めてしまった自分に後悔したと思うのです。限界まで頑張ってリタイアしたなら次はしっかり準備してチャレンジしようと思うでしょう。

 

抜粋終了

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その時はどうすればゴール出来るか、あらゆる可能性を探りました。知識がないながらも足攣りはスポーツドリンクを飲めば治るのではないか?と考え、次のエイドでスポーツドリンクを飲んだら、ポパイがほうれん草を食べたように元気になることをイメージしてエイドに到着すると、スポーツドリンクは売り切れで水しかなかった時のがっかり感。

イチゴなどフルーツエイドがあったことを思い出して着いたら、あるわけもなし。

「この先エイド救護所あり」の看板があり、サロンパスなどあれば良くなるかもしれないと思ったが、救護を受けたら失格になると言われて諦めたような記憶もある。

その時、測った早歩きは1時間に6キロ進むが、3時間歩いても18キロ。ハーフ通過は1時間50分くらいだったので、残り21キロを全部歩いたら間に合わないことは計算して簡単にわかった。

また、ずっとそのスピードで歩き続けることが出来るかも分からなかった。慣れない早歩きに股や太もも、脇などが擦れてきたのも記憶している。

頑張っても、このままでは報われない。そこで走ることを何度かチャレンジしたが、両脚が攣って転倒した。それでも諦めずに何回か繰り返すと攣る直前の身体の反応が分かってきた。試しにその直前に走るのをやめて歩くと攣らなかった。この発見は嬉しかったです。

100%制限時間に間に合わない状態からもしかしたら間に合うかもしれないに変わったのですから・・。

そこから走りを交えると1時間に8キロ進むことが出来て4時間56分でゴールしました。

ゴール前の坂道はたくさんの応援がありましたが、悔しさと嬉しさが混じった不思議な気持ちでした。悔し涙と感動の涙が溢れてきましたが、こんなタイムで泣いてたらカッコ悪いと帽子を目深に被りなおしました。

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その時の風景などを自分の目で確かめようと今回エントリーしました。

例年チャレンジ富士五湖の前週で参加出来ませんでしたが、今年は2週間前だから、無理せずロングジョグなら、その後のケアをすれば大丈夫と判断しました。

しかし残念なことがありました。

それは私が走った時とコースが変わっていたのです。序盤と終盤は一緒ですが、足攣りした18キロ付近や収容バスがあった24キロ付近、必死に歩いたり、走りを模索した場所など全く違う景色でした。検索したら2015年にコース変更があったようです。


確かに記憶では、終盤のアップダウンはこれほどはなかった。

したがって懐かしさなどはほとんどなく、ただアップダウンのキツいコースを走りに来ただけに終わりました・・・。

今回はサロモン S/LAB SONIC 2を試す予定でしたが、雨によりスタート・フィニッシュ地点はドロドロだし、コース上も水溜りが多いことを想定して履き慣れたアディゼロジャパンブースト3で走りました。理由は悪いコンディションの中で新しいシューズを履くと悪いイメージが付いてしまうからです。

今回は身体にダメージがない程度に走るつもりでしたが、いきなりキロ5とかではなく、序盤はある程度のペースで走ってからペースを落とし、どこまでペースを落とせば今の自分は楽に走れるかを試してきました。そのペースで富士五湖の中盤まで走ります。



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