目を瞑るか、目を見開くか。

<スポンサーリンク>


今まで道端に咲く花などは、大きく咲く桜くらいしか見ることなかったけど、最近は頻繁に目に入ってきます。

綺麗なモノを目が勝手に探しているようです。

それは何故か?と改めて考えてみると、心のバランスをとるための無意識の行動にも感じます。

綺麗なモノを綺麗と感じる。

すごく当たり前で、大事なこと。

 

電車で寝過ごして何度か20km以上歩いて帰ったことがあるけど、橋の近くとか、そうでない何でもない場所で、なんだか急に霊的なことが浮かんで怖さを感じた時は何度もあります。

でも、ウルトラトレイルで疲労困憊の状態で山に入り漆黒の闇に包まれた中で、前後に人がいなくてもそのような怖さを感じることはありません。それは暗闇で転倒したり、道を間違い崖から落ちてしまう現実的な危機から身を守ろうと、全身全霊をかけていると霊的な怖さなど考える余裕がないのだろう。


<スポンサーリンク>


私はそろそろ54歳になるけど、過去何度か死んでもおかしくない状況に陥ったことがあります。でも不思議なもので、その時の私はどうすれば、どう動けば助かるのかの様々なシュミレーションを瞬時におこない、ダメージを減らすよう動き、絶体絶命のピンチを切り抜けました。あたかも周りはスローモーションになるが、自分は普通に動ける感覚でした。実際は周りの時間が遅くなったのではなく、私の脳が平時の数十倍働き、身体の細胞一つ一つに指示をしていたかのようです。

皆さんも、これまでの人生の中でこのような経験はあるかもしれません。危機的状況になった時に、諦めて目をつぶってしまうか、何とかして生き抜こうと眼を見開くかで未来は大きく変わってきます。

今もそんな時なんだと思います。感染による生命の危機だけではなく、収入の基盤が崩れるなど経済の危機、長年かけて築き上げてきた友人や隣人との信頼関係などが壊れる社会の危機が同時に襲ってきているのです。

この時、どう生きるかで、その後の人生は変わると思います。

いろんな意味で試されています。
<スポンサーリンク>


バイクで転倒しようとしている時に、もうダメだと目をつぶるのではなく、怖くても目をあけて助かるために何をすべきか、瞬時に変わっていく状況を分析判断し行動すべきです。

なぜバイクなんか買ったのだろう。道路整備が悪い。強風に煽られたから仕方がない。アイツに抜かれたのが原因だ。おれっていつもついていない。なんて考えている暇があるなら、どう転倒を食い止めるか、転倒は避けられないならどう致命傷にならないようにするか、そのためには、対向車はいるだろうかとか、この先のガードレールの高さはとか、後ろの状態とか五感はフル稼働した方がいい。

自分に責任があるかないかなんて関係なく、もう起こってしまったことは変えられない。

政府が悪い、マスコミが悪い、キャバクラやパチンコにいくヤツが悪い、出歩くヤツが悪い、若者が悪い、と犯人探しをして自分は何も悪くはない。と考えたって何も変わらない。

でも自分の行動はすぐにでも変えられる。

感染しないためには何をしたらよいか?

経済的苦境に陥りそうだが今できることはないか?

家族や友人も苦しんでいる。何かできることはないか?

行動を変えるには、現在の状況を知ることが必要で、そのためには不確かな情報に踊らされずに、客観的事実に基づいた正確な情報を掴む努力が大事だと思う。


<スポンサーリンク>


また、客観的事実であっても見方により、様々な答えがある。綺麗な花であっても、遠くから見るのと、寄って見るのは違うし、横から見たり、裏から見たら綺麗ではないかもしれない。全てが客観的事実。

そもそも道端の花に目が行かずに落ちてるゴミばかり目に入ってくる人もいる。

人によって見えるところは違うのです。

人によって見たいと思うところは違うのです。

希望を見出したいなら希望を見つける。そして逆も同様です。

このニュースは切り取られていると感じたり、何か違和感を感じたなら、ニュース元になってるところを調べたり、なぜそこを切り取りたかったのだろう?と考えると見えてくることもあります。

ニュースでは、東京都は11日連続して新規感染者100人超えた。など流すけど、最近東京だけではなく全国的にも減少傾向だとは流さない。それは安心させたら、すぐに緩むからかもしれないが、多くの人が自粛しているのだから、その効果が少しでも目に見えると頑張れる気がする。

東洋経済オンラインの新型コロナウイルス国内感染の状況によると最近の全国の新規感染者数の状況はこちらです。(画面キャプチャーします。)

同様に東京都はこちらです。

楽観できる状況ではないけど、悲観する状況でもない。

こちらは以前書いた記事だけど、私が客観的事実を知りたい時にまず調べるところを紹介してます。そこを調べてから、さらに他を探しています。

危機を乗り越えるには、複数の情報源と考える力。

例えば地下道やビルの中にいる時に大災害が起こったとして、周りの「こっちだー」という声に従い進む方向を決めたり、何も考えずに人の流れに従い逃げる。のと自分の視覚・聴覚・嗅覚など五感を総動員して情報を収集し、その時の状況を客観的に評価し行動するので、どっちが助かるのかは分からない。

「こっちだー」という声の主がその場所の構造などに詳しい方(信頼おける方)なのか、知らないで適当に言っているのかによっても状況は変わる。

<スポンサーリンク>


今回のことに限らず、私は54年近く様々な選択を繰り返して今に至っている。皆さんも同様でしょう。

過去の行動や判断を悔やむことはあります。それは思慮なく行動したことと、自分自身の判断・したいことと違う行動をした時に多いような気がします。

例えば、6年前に会社を早期退職したことは大きな判断だったと思います。その会社を早期退職しようと思った理由は色々あるけど、様々な安定をリセットしたことに今でも後悔は全くありません。それは自分で新たな人生を切り開きたいと決めたことだからです。

現在、自分の心身の健康を守るためのランニングでさえ躊躇していると投稿している人は少なくありません。もちろん走りたくない人に走った方がいいなんて言いません。でも走りたいと思うなら、周りの友達から意識が低いなどと思われようが、自分が安全と思えるような状況で走った方が良いと思います。

実際のところ、ランニングをすることに躊躇しているような方は、周りへの配慮ができる優しい方だと思います。歩行者が不安と感じるような走りはしないでしょう。他人を不安にさせたくないと自分ばかり抑制していると長期戦になると自分の心身が追い詰められて行きます。自分の心身を守ることができるのは自分だけです。

また、不安と不満が渦巻く中で、それまで仲の良かった友人と些細なことで関係が悪化してしまった方もいると思いますが、このままで良いのか?を考えて欲しいのです。

ケースにもよると思いますが、ちょっとした意見の違いや勘違い、そして言葉の使い方が適切でなかったり、不安から普段だと絶対に言わないことを言ってしまったり、自分が悪いと思いながらも後に引けなくなったなど様々だと思います。

今の時代で失った友人との信頼関係などは、今戻さないと、多分戻らないと思う。

そういうことってすごく残念なことだし、それこそコロナの思うツボのように感じます。

私自身が、今大切にしていることは、自分のことより、自分を取り巻く方々のことです。

例えば、ウルプロメンバーはどうしているだろう?自分はどんなことができるだろう?応援してくれている協賛メーカーの方々に対しては何ができるだろう?この記事を読んでいる方々含め社会に何ができるだろう?そして頻繁に会うことのない親や兄弟など親族に何ができるだろう?

そんなことを考え始めると、それまで感じていた不安が消え去りました。自分の内から外へ意識が変わったのです。それは結果的に自分のためにもなっているのです。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA