10年前、世田谷から群馬に一人で走った。

私が生まれてから高校卒業するまで育った群馬県沼田市は8月3日から5日まで祭りが開催されていたので、この期間に帰省するのが年中行事となっていました。その祭りもコロナ禍に入ってから3年間開催されていません。

10年前、その夏祭りに合わせて、当時住んでいた世田谷から実家に向けて走って帰省しました。この時に見た光景や、暑さなど今でも部分的に覚えていますが、いろいろ経験できました。

当時書いたブログを抜粋して紹介し、今思うことなど加えていきます。

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スタート前の投稿

帰宅ランって言葉はランナーには浸透してますが、今晩から帰省ランしてきます。

帰省と行っても実家が近い人や遠い人さまざまですけどね。。

私はちょうどチャレンジするには良い距離です。

さすがに大阪とかなら無理。

正確には分からないけどだいたい140キロくらいです。

群馬県に入るまでは254号線沿いを走ると思います。夜間走になるのでヘッドライトとハンドライト持参します。まあ朝まで走って電車が動き始めたらショートカットする可能性もあるけど夜間は走ります。

140キロって長いけど、本来出るはずの奥武蔵ウルトラは80キロ近くの距離だけどアップダウンが激しく日中は激暑。しかもタイムや順位を意識するから休めない、歩けない。それを考えたら楽だと思ってます。。。

楽しんで実家を目指して走ってきます。

2009年から2011年までNPO法人スポーツエイドジャパン主催の奥武蔵ウルトラマラソンに出ていました。当時は8月1週目に開催でした。2012年も走る予定でしたが、前年までは慌ててエントリーする必要はなかったのに、この年は早々に定員に達してしまい走ることができなかったので、以前から実家まで走って帰りたいという計画を実行することにしました。

その、スポーツエイドジャパンの舘山代表とは今では毎月打ち合わせをするようになっているのだから10年間で色々変わりました。

私は子どもの頃は遠くに行きたい。知らない場所に行きたい。と冒険気分でかなり遠くまで歩いて行ったり、自転車で行ったりするなど好奇心旺盛でしたが、大人になってもその気持ちは残っているようです。

なぜ、走って帰ろうと思ったか?

金曜21時40分頃スタートして7時間が経過し空が明るくなった頃に書いた言葉をそのまま書きます。

7時間経過 45.5キロ 圏央道を越えました。

なんでこんなことをしてるかと言うと、昔からしてみたかったという理由もあるけど、信越五岳110キロと神宮外苑24時間チャレンジの練習です。金曜日朝7時前には起きて19時半まで仕事して家に帰って食事して寝ないでスタート。朝9時までは歩きでもいいから活動を続ける。眠くても活動を続けたら会社で仕事開始してから24時間です。なんか地味な練習だけど、脚はもちろん内臓も強くなると思います。

2012年は、第1回UTMFを完走し、そして6月のサロマ湖ウルトラで初めてサブ9を達成しました。そして秋以降開催の信越五岳トレイルランニングレースや、神宮外苑24時間チャレンジに向けて練習していましたが、この年の神宮で初めて200kmを超えることができました。

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計画

まずスタート直前にルートを調べて途中までメモしときました。だいたい140キロ。金曜日21時40分頃スタートして沼田に土曜日18時には着かなくてはいけない。だから最高走っても20時間くらい。

もちろん実家まで走りたいけど、暑い時期だから無理はしないで電車でショートカットも選択肢にありました。

予定では朝までに1時間あたり9キロ走れば7時までの9時間くらいで80キロは超えるので暑い埼玉県をやり過ごすことができる。そして高崎あたりで仮眠をとる場所があれば2時間くらい休んでから実家に向かうつもりでした。

今ならGPSウオッチにルートを登録してナビ見ながら走れますが、当時はスマホアプリで地図を見ることができるというのは画期的な機能でした。ただ、信号待ちがありルートがよく分かっていない道を休憩しながら時速9kmで進む計画は真夏でなくてもかなり甘い計画でした。結果として日差しが出る前に通過する予定だった熊谷とか深谷を昼に通過することになりました。ただこのように自分で実際にやってみたことは経験になっています。

装備

キリアンザックを使うつもりがほとんど何も入らないからノースフェイスのマーチンウイングにした。

ウェアはキリアンザックを背負うつもりでノースリーブにしたけど、キリアンザックを止めた段階で半袖に変えるべきだった。

シューズはアディゼロジャパン。

ソックスはR×Lsocksメリノウール。ゲイターはコンプレスポーツにしようか考えたが履き慣れたC3fitにしました。テーピングもウルトラマラソンのレース並みに貼った。

ハイドレーションにはOS-1を1.5リットル入れたけど、これが序盤の躓きの原因になりました。

10年前の私です。

この頃はアディダスばかり履いていました。またアールエルのメリノウールソックスはサロマ湖ウルトラで初めて使いましたが、現在でも愛用しています。

そもそもコンビニでスポーツドリンクなど購入できるのに、1.5リットルも背負って走った理由は覚えていないけど、信越五岳の練習として背負ったのかもしれないし、当時はコンビニで経口補水液は購入できなかったので背負ったのかもしれません。

今は、スティックを活用しています。

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そして、スタート

用意を終えてスタートと思ったら少し虚脱感を感じた。

やはり酷暑の中を一週間仕事して、皇居走ったり、織田フィールド走ったりして疲労は相当溜まってる。ようやく金曜日の仕事を終えて食事をしてオリンピックを見ながら寝てしまうってのが普通だと思う。それなのに一睡もしないで群馬県まで自力で向かうなんて、やはり無謀か。

スタート直前がそんな風だったので序盤は安全のためにゆっくり行って体調を確認することにした。

いっそ、電車で行けるとこまで行ってから走ろうかなんてことも考えましたがまずはスタートしようって思った。

そして21時46分にスタート!

当時の気温など調べたら、21時で28.2℃なので今年ほど暑くはないけど、月曜日から金曜日まで仕事をして疲れた状態で、自宅に帰ってゆっくり休むタイミングでのスタートだから、そりゃ虚脱感も感じるでしょう。電車で行けるところまでと書いているけど、自宅から向かうことに意味があるとすぐに打ち消しました。

いきなり肩が痛くなる

家を出てまずは吉祥寺に向かうが、いきなり道を間違える。そしてザックが肩に食い込んで痛い。

体調確認にためにゆっくり走ったり歩いたりしてるけど、そのスピードでもザックが肩に食い込む。

スタート前にザック重量を計ったら3.7キロくらいだからUTMFの時より1キロは軽い。ジェルとか持ち過ぎたのと、自販機でいくらでも補給できるのにハイドレーションに1.5リットルは多すぎた。

まだ3キロなのに肩が痛いのでは仕方ないので対策を考えた。最初はドラッグストアでスポンジを買って肩に挟もうと思ったけど、目の粗い硬そうなのしかなかったので止めた。余計痛くなる。次にコンビニに入ったら雑巾用タオル2枚が200円で売ってたので購入。両肩に挟んだらいい感じになりました。

そんなことをしてたから結構時間がかかった。

1時間経過 7.6キロ通過。

こんなことがあったこともすっかり忘れていましたが、当時のブログを読んだら鮮明に思い出してきました。トラブルは仕方がないけど、その時にどうしたら良いかを考えて行動しました。実際コンビニの雑巾用タオルは大正解でした。もしこの改善策が見つからない場合は東京から出ないで自宅に逆戻りとなったかもしれません。

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地図アプリ見ながら進む

吉祥寺から保谷に向かう。この辺り道が分からないからスマフォのマップを何回も確認しながら進む。

2時間経過 14キロ通過。

この辺りは真っ暗な畑の間の道を走った。スマフォのマップを信じて進んだけどかなり遠回りしてるし、何回も間違えながら進む。そしてようやく関越道を横切った。

3時間経過 20.69キロ通過。

川越街道を走行しました。蒸し暑いからコンビニで凍ったペットボトルを買って首とかを冷やしながら進む。

4時間経過 27.3キロ通過。

ちょっとペースが遅いと感じたけど、体調が万全でないし、暑いから仕方がない。とにかく活動を続けることが大事です。

5時間経過 35キロ通過。

川越駅を通ったら若いグループが酔っ払って大声でCHAGE&ASKAの「殴りに行こうか」ってのを歌っていた。かなり上手だなって感心したけど、殴られたくないから近くには寄らなかった。

6時間経過 40キロ通過。

川越の古い街並みを一人走ったり歩いたり。非日常的な時間を楽しんでいた。

7時間経過 45.5キロ通過。

圏央道を横切った。コンビニで凍ったペットボトルを買い続けてる。それくらい暑い。この時すでに空が明るくなってきた。予定よりかなり遅れてるので、時間的に実家までは難しくなった。ただ24時間走の練習でもあるので、まずは9時までは活動を続けることを最低の目標にした。

8時間経過 50.95キロ通過。

脚は痛くないけど疲れてきた。ただ内臓系は大丈夫だし睡魔も襲ってきていない。ただ日差しが強くなってきた。

9時間経過 55.7キロ通過。

分かりにくい箇所は地図アプリを見ながら進みましたが、墓地の近くとか、人気のない真っ暗な場所とか、ちょっと怖さを感じる場所もあったことを思い出しました。

計画段階では9時間で80kmは進んでいるはずが、実際は55.7kmと2/3しか進んでいません。

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朝から日差しが強い

東松山インターを通過した。

10時間経過 60.8キロ通過

この辺りで地図を再検索したらなんと沼田まで90キロ以上ある。相当道を間違えたようだ。。

この辺りはひたすら歩いた。

11時間経過 66キロ通過。

そろそろ半分くらいかと思って地図で再検索した時に、まだ90km以上あると知った時のガッカリ感は今でも覚えています。

酷暑の熊谷を昼間通過することになった

日本で一番暑い熊谷はマジ暑い。水をかぶりたいけど、コンビニはないし公園もない。

12時間経過 69.64キロ通過。

頭から水を被った。そしてコンビニで買ったロックアイスをBuffにはさんで頭に被ったら気持ちいい。。しかしまだ10時前なのにこの暑さはヤバすぎる。

13時間経過 74.67キロ通過。

アイスはすぐに溶ける。

ハイドレーションにロックアイスを入れると背中が冷えて気持ちいいから3回やりました。

14時間経過 79.6キロ通過。

こちらはその時の熊谷の気温などです。12時で32.9℃ですから今年よりは低いけど、30℃を超えて日差しが強いと相当暑いです。バフを頭に被って水をかぶると、布はビチャビチャになり冷えるのですが、短時間でカラカラに乾いてしまうのには驚きました。暑さを緩和するのはとにかく水でビチャビチャになるのが一番良いと経験しましたが、その経験はその後のレースでも役立っています。

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群馬県に入って止めることにした

深谷も通過。もう焦げるような暑さです。行政が今日は非常に暑く熱中症の危険が高いので、出歩かないように的な放送が流れていた。群馬県までは行くと決めた。

15時間経過 84.25キロ通過。

岡部通過。

頭から水を被ってもすぐに乾いちゃうくらいの暑さです。。よく続けるな~って思った。

16時間経過 88.7キロ通過。

本庄まであと1キロ。

Googleマップで調べたら群馬県に入って最初の駅の新町まで12キロくらいだった。真っ昼間の直射日光を遮るものがない国道沿いをひたすら進むもマジでヤバいって感じてきた。

新町2つ手前の神保原ならあと3キロくらいだからここで止めようとも思った。でも新町まで行けば100キロ越えるし群馬県にも入る。そう思いながら日陰を求めて国道から線路側に進むも単なる距離のロスに終わった。。

91キロでガーミンのバッテリーが切れた。

電車の時間を調べたら新町でも一つ前の駅でも到着時間は変わらなかった。最後まで暑かったけどゴールが近づくと頑張れる。

これが群馬県境です。

元々、家族での夕食の時間の関係があり、実家に18時には到着する必要があったので、その時間が制限時間であり、そこから逆算して途中関門時間が決まっていました。朝時点で実家までは無理なことは分かっていましたが、どこまでいくかを考える中で最低でも100km。そして群馬県に入るという絶好のやめ場所が見つかったのです。

最近のGPSウオッチなら途中で切れることもなかったし、ルートナビ機能もあるのだから、便利になったものです。

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世田谷から18時間活動続けた

そして、15時40分に新町駅に到着。道をロスしたからだいたい102キロ。

世田谷から18時間活動し続けました。

考えたら18時間を超えて活動し続けたのは三回目です。

2010年 神宮外苑24時間走

2012年 UTMF

距離はたったの102キロだけど、33時間寝ないで、8月の猛暑の中、昼間、熊谷~深谷~本庄を通って活動し続けたのは自信になりました。内臓も問題なく睡魔も襲われなかった。

普通に歩いても一時間に5キロちょい。早歩きなら6キロは疲れていても進めることが分かった。100キロまでのウルトラマラソンなら基本歩くことはないけど、それ以上のレースや、ウルトラトレイルは積極的に歩きを取り入れる必要があるので普通に歩いても5キロ少し進めるのは大きい。

新町から高崎経由で沼田に帰ったが電車で寝てしまい危うく寝過ごすとこだった。。そして無事沼田駅に17時過ぎに到着。

当時は100kmレースで9時間切って走っていたので、同じ距離に18時間かかったことにガッカリする気持ちもありましたが、10年経った今思うと、道もよく分かってない中、様々なトラブルに襲われ、大会でないからいつでもやめることができる。やめる理由なんていくらでもあるのに、群馬県までたどり着くことができたのはよく頑張ったと思っています。

このチャレンジの経験によって、その後のレースで走れなくなってからも諦めることなく歩いてゴールを目指す完走しています。

滝坂

そこから実家まで1キロくらいある。それも激坂を登る必要がある。走りなかったけど、ザックをしまったビニール袋を担いでは走れないので歩いたけど、まあ凄い坂です。

これは滝坂っていいます。

何%なんでしょうね??

この階段も凄い傾斜です。

実家に向かって夜中に走っていくなんて非日常的な旅ができることって幸せなことだと思います。ホント、プライスレスってやつですね。

この画像は実家から帰る時に撮影したので上から下を写していますが、沼田駅から沼田市街地に向かうにはこれを登るのです。この坂を使って練習したら強くなりそうです。

さて、オーバーナイトランを計画している方は、こちらに色々情報を掲載しているので読んでみてください。

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